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かつて一世を風靡した人達を追い続けるハードコアな独り言の数々

Category: チャーリー・バルティモア

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チャーリー・バルティモア

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真っ赤に染めたストレートヘア。
きりっとした鋭い目つき。

彼女の名前はチャーリー・バルティモア(Charli Baltimore)。

その派手ないでたちや、ビギーの元愛人として語られることの多い彼女ですが、これまでに歩んできた茨の道はあまり知られていません。今日はそんな彼女の軌跡を振り返ってみましょう。





1. 生い立ち

1974年8月6日。 ペンジシルバニア州フィラデルフィア。
チャーリー・バルティモアこと本名ティファニー・レイン(Tifanny Lane)は生まれました。 

父はドイツ系の白人、母はアフリカ系の黒人。 両親はチャーリーが幼い時に離婚。 そんな両親に代わってチャーリーを育ててくれたのは12歳年上の義理の姉ヨランダでした。 幸せな家庭の代わりに、チャーリーが出会ったはラップミュージックでした。

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「当時はビック・ダディ・ケインとかをよく聞いてたの。 ラップを始めたのは12歳の頃。 学校ではいつも私が一番の女ラッパーだったわ。 男顔負けのね。」

しかしチャーリーにとって10代の日々は楽しい青春時代とは言えませんでした。 14歳の頃に付き合っていた彼氏は、身長190センチもある札付きのワル。 その彼氏は何か気に入らないことがあるとすぐチャリーに暴力をふるったといいます。 17歳の時、チャーリーはその彼氏の子供を妊娠しまが、彼の暴力は決して止まりませんでした。 

「私が妊娠中の時に起きた事を今でも覚えている。 彼氏が部屋で男友達3人とダイス(サイコロの賭け事)をして遊んでいたの。 私が彼の部屋に入ると、突然彼氏が怒り出した。 私がノックをしないで彼の部屋に入ったことが気に入らなかったみたい。 私の顔にあざが出来るまで殴られたわ。 周りの男達は私が殴られるを見て 笑っていたのよ。」

その後 長女インディア(India)を出産。 
チャーリーはその男と別れ、シングルマザーとして娘を育てていく決意します。

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高校卒業後、チャーリーはピアース・カレッジ(Pierce Colleage)に進学。 ファインアートを専攻し、卒業間近になった頃、チャーリーは新しい彼氏との子供、シアーニ(Siaani)を出産。 しかしその彼氏はチャーリーと娘を残したまま家出。 チャーリーは娘2人を養うため、法律家補助員として働き始めます。

そんなチャーリーに転機が訪れたのは1995年の夏。 
ビギーことノートリアスBIG(Nortrious B.I.G)がツアーでフィラデルフィアに訪れた時のこと。 コンサート後に行われたパーティー会場で、チャーリーはビギーと出会います。

「出会った瞬間に、特別なものを感じたわ。 お互いにね。」

その日をきっかけに、2人は恋に落ちていきます。





2. 運命の留守番電話

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ある日、チャーリーはビギーに1本の電話をかけます。 しかしビギーが外出中だったため、チャーリーはふざけてラップでメッセージを残します。 そしてこの留守電が、その後の彼女の人生を大きく変えることになりました。 数時間後、ビギーからチャーリーに折り返し電話がかかってきます。

ビギー「留守番 聞いたんだけどよ、おまえラップの才能あるな。」
チャーリー「ふざけてラップしてみただけだよ。 」
ビギー「いや、おまえにはラップの才能がある。 続けるべきだ。」

ビギーは真剣でした。
チャーリーのラッパーとしての才能にいち早く気付いたのです。
この助言をきっかけに、チャーリーは真剣にラップに打ち込んでいきます。

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そして『チャーリー・バルティモア』というラッパー名もビギーによる提案でした。 ある日、ビギーとチャーリーは一緒に映画「ロング キス グッドナイト」を見ていました。 1996年に公開されたブルース・ウィルス主演のこの映画のなかに、ジーナ・ディビス(Gina Daivs)演じるチャーリー・バルティモアという登場人物が出てきます。

チャーリー「チャーリー・バルティモアっていい名前ね。」
ビギー「おまえ、これからチャーリー・バルティモアって名前にしろよ。」

この映画の登場人物チャーリーは、娘を育てるシングルマザーでありながら、スパイとしても活動する2つの顔を持つ女性、という設定になっています。 ラッパーでありシングルマザーであるチャーリーは、この登場人物に共感を抱いたといいます。

チャーリーが世間に初披露となったのが1996年に発表されたJuniorMafiaのシングル「Get Money」のPV。 元々はFaith Evansが出演する予定でしたが都合がつかなかったため、彼女の代役としてチャーリーが出演する運びとなりました。

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晩年のビギーはラップグループ「The Commision」の活動開始を準備していたと言われています。 構成メンバーはビギー、、Jay-Z、そしてチャーリー。 ビギーがどれほどチャーリーの才能を評価していたのかが伺えます。 しかし このプロジェクトが実現することはありませんでした。 ビギーの身に起きたある事件によって・・・





3. 試練の時

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1997年3月9日。 ビギーが射殺されます。
チャーリーは実の父親と、次女の父親である元彼氏を亡くしたばかりでした。 

「何故こんなにつらい思いをしなければいけないのか分からなかった。」

愛する人達を次々に失ったチャーリーは、失望のあまり睡眠薬を多量摂取し自殺を図ります。 それはビギーの葬儀が行われる2日前でした。 幸いにもチャーリーは一命を取り留めますが、心に負った深い傷は決して癒える事はありませんでした。

チャーリーは病院から退院し、ビギーの葬儀に出席します。 

しかし出席者の誰もがチャーリーに冷たく接します。 フェイス・エバンスの取り巻きからも、リル・キムの取り巻きからもチャーリーは敵視され、「晩年のビギーを独占したよそ者」、「ビギーを利用して有名になろうとした女」という扱いを受けます。 周りからの冷たい視線に耐えられなくなったチャーリーは、泣きながら立ち去ります。 

走り去っていくチャーリーの後ろ姿に、心を痛めた人物がいました。
彼の名前はランス・リベラ(Lance Rivera)。
かつてビギーのビジネスパートナーだった人物です。

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「ビギーの死で心を痛めているのは僕も、彼女も、みんな同じなのに、誰も彼女に声をかけようとはしなかった。 そしてチャーリーが泣きながら出て行く姿を見て、何かが間違っていると思ったんだ。  彼女こそ助けが必要だと思ったんだよ。」

Untertainment Records の社長であるランスは、生前ビギーからチャリーを紹介されていました。 ランスはチャーリーに連絡を取り、自身のレーベルにチャーリーを迎え入れます。





4. Untertainment Records 時代

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1998年。チャーリーはシングル「Money」を発表し、ラッパーとしてのキャリアを開始します。
この曲はサウンドトラック「Woo」にも収録されました。

つづけて2ndシングルとなる「Stand Up」を発表。
Hot Rap Singelsチャートで9位を記録します。

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同じく1998年には、レーベルメイトであるキャムロンが「Confessions of Fire」でアルバムデビューを果たします。 チャーリーもこのアルバムにゲスト参加します。

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1999年にはサウンドトラック「Trippin」に参加。 
「Everybody Wanna Know」を提供します。

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そして遂にチャーリーのデビューアルバム「Cold As Ice」の製作が開始されます。 このアルバムには、ものすごい豪華な顔ぶれが集結しました。 プロデューサは テディ・ライリー(Teddy Riley)、RZA、DJプレミア(DJ Premier)、ゲストラッパーは、ゴースト・フェイス・キラー(Ghostface Killah)、キャムロン(Camron)、モブ・ディープ(Mobb Deep)、ノリエガ(Noreaga)、クィーンペン(Qeen Pen)、ダ・ブラット(Da Brat)、ギャングスタ・ブー(Gangsta Boo)などなど。 

特にRZAとの仕事は、チャーリーにとって思い入れが強いようです。 

「RZAに仕事を依頼した時、"女と仕事するのは嫌だね"って最初は断れたの。 その後に私のデモテープをRZAに送ってみたの。 私の事を知ってもらう為にね。 デモテープを聴いたRZAから連絡が来て、"是非一緒に仕事したい"って言ってくれたんだ。 彼に認めてもらえて、すごく嬉しかった。」

しかしながら音楽的方向性の違いでチャーリーはレーベル側と揉めてしまいます。 

「レーベル側は私をアーティストとして見てくれなかった。 ポップな曲ばかりをやらせようとしたの。 マーキー・マークが演るような軽いノリの曲をね。 私はもっとハードなやつがやりたかった。 もっとストリートに根付いているようなハードなラップをね。 」

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本来1999年の夏に発売されるはずだったチャーリーのアルバムは、度重なる発売延期を繰り返します。 そして配給元のエピックソニーは、Untertainment Recordsとの契約を解消。 必然的にチャーリーのデビューアルバムはお蔵行きとなり、チャーリーは、Untertainment Recordsから離脱します。 

「当時はプロモーションツアーやインタビューで毎日すごく忙しかった。 アルバムの発売を目標に頑張ってきたのに、それがダメになったと聞いた時はそうとう落ち込んだわ。  ラップに対して 意欲を失ってしまったの。」

レーベル離脱後、チャーリーはモデル、女優として活動します。 
2000年にはスパイク・リー監督のコメディ映画「Bamboozled」に出演。 
2001年には映画「Snipes」に出演し、Nelly や Schooly-Dと共演します。 




5. マーダー・インク時代

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2001年。チャーリーはマーダー・インク(Murdar Inc.)と契約。
久しぶりに音楽界へと戻ってきます。

レーベルメイトのJa Ruleはチャーリーについてこう語っています。

「チャーリーはものすごい才能を持つアーティストだ。 なのにチャーリーの才能に気づいていない人が多すぎるよ。 多くの人が彼女のことを「ビギーの元愛人」という捉え方をしている。 すごく残念だ。  ビギーが発掘した彼女の才能を、もっと多くの人に知ってもらいたい。  それを世間に知らしめることが俺やゴッティの役目だと思うよ。」

マーダーインクでの初仕事となったのは2002年のJa Ruleの曲「Down Ass Bitch」です。 映画「ボニーとクライド」をモチーフにしたこの曲のPVには、俳優エリック・ロバーツ(Eric Roberts)やクラレンス・ウィリアムス(Clarence William)も出演しています。 PVの話題性もあり、この曲はビルボードチャートで21位を記録します。 更にその続編として作られた「Down 4 U」(アルバム「Irv Gotti Presents: The Inc.」収録曲)でもチャーリーは再びJa Ruleと共演します。

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他アーティスト作品への客演をこなしていく一方で、自身のアルバムの製作も開始します。 
前回のアルバムと今回のアルバムを比較してチャーリーは当時こう語っています。

「前回のアルバムでは周りからの制約があって、自分を全く表現できなかったけど、今回は本当の自分を表現することが出来た。 以前はいろんなプロデューサーと仕事したけど、今回はゴッティが連れてきたチンク・サンタナ(Chink Santana)とほぼ全曲をつくったの。 チンクとは3日で6曲作った時だってあったわ。 それからEveと一緒に、ビギーの「Brooklyn's Finest」をリメイクしたの。 あまりいろんなゲストを迎えるのは嫌なんだけど、彼女は別よ。 同じフィラデルフィア出身だし、とても上手くいったわ。」

そしてチャーリーのアルバム「The Diary」は完成し、アルバムからのファーストシングルとなる予定の「Hey Charli」のプロモ盤が出回ります。 

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全てが順調かに思えました。

ところが、ここにきて またしてもアルバムの発売延期が繰り替えされます。 この件が引き金となり、チャーリーはアーヴ・ゴッティとたびたび衝突。 そしてチャーリーはゴッティと喧嘩別れするような形で、マーダーインクを離れることになります。 チャーリーの離脱について、アーヴ・ゴッティはこう述べています。

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「俺が今までに契約を交わした全てのアーティスト達は、皆スターの素質があった。チャーリーだってもちろんそうだったし、今でもそうだと思っている。 俺がやらなくてはいけないことは、スターの素質があるアーティストを、本当のスターにするために、最高の作品を作り上げることだ。 より良い作品を作るために、俺達は何度も何度もスタジオに戻って、繰り返しトライしたよ。 納得のいく作品になるまで絶対に妥協したくなかったんだ。 でもチャーリーは、もうこれ以上待てなかったんだ。 彼女には家族もいるし、年齢も若くはないからね。 だから彼女がレーベルを辞めると言ってきた時、俺は彼女を引き止めなかったんだ。」





6. 三度目の再起を賭けて

2005年10月。
チャーリーは、ラッパーThe Gameが所有するレーベル Black Wall Street と正式に契約を交わしたことを発表します。

「初めて会った時から、Gameは私の才能を高く評価していくれていた。 私も彼の音楽が好きだし、一緒に仕事したいと思ったから契約したのよ。」

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2005年末に発表されたThe GameのオフィシャルMix CD 「Stop Snichin Stop Lyin」 に収録さている「Testify」と「Bounce Back」の2曲で、チャーリーはThe Gameとの共演を果たしています。 特に「Testify」の中では、元ボスであるアーヴ・ゴッティを強烈にディスしています。 
また、現在チャーリーは 自身のMixCDをレコーディング中です。

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1998年のデビューから8年。
彼女は未だにアルバムをリリースできていません。

これまでの人生を振り返ってチャーリーはこう語ってます。

「今までの自分の人生を振り返るとイロイロなことがあったと思う。 でも自分の過去を悩んだり恨んだりはしていない。 私は挫折や失敗の中から何かを見つけて、もう一度挑戦するタイプなの。」

たくさんの障害にぶつかりながらも、前向きに生きていくチャーリー。
彼女が三度カムバックしてくれることを私は固く信じています。




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featuring キティちゃん

 
嬉しそうにキティちゃんと写真を撮る女性

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あれれ? この人どこかで見たことある顔だけど・・・
はて、誰だったけ?? (・ε ・ )


正解は 元マーダーインクのチャーリー・バルティモアでした。
なんと この写真はサンリオの公式サイトに載っています。
http://www.sanrio.com/main/happytimes/feature/dreamworld.html

ニューヨークのタイムズスクエアにあるサンリオショップで
2002年に行われた キティちゃんの誕生日記念イベントに
娘さん2人を連れてチャーリーが来店した時の写真だそうです。

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過激なリリックが売りの女性ラッパー、という印象が強い彼女ですが
普段はやさしいお母さんなんですね (・∀・)




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管理人ケリー

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    【趣味】 Chill out at cafe
    【特技】 Hip Hop Dance
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