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ジン

映画「8 Mile」って見ました?
あの映画はエミネムの半自伝的映画ですが、
あのストーリーによく似た生い立ちを持つラッパーが、もう一人いるんですよ。
しかもこの人、中国人。
フリースタイルの実力はエミネム以上との噂も。
彼の出現は、あまりに衝撃的でした。
これまでの軌跡と、現在の活動を探ってみましょう。
1. 逆境をバネにして
中国からアメリカに移民してきた両親は、
フロリダ州マイアミに小さな中華レストランを開業する。
そして1982年にジン(Jin Auyeung)は生まれた。
ヒップホップに始めて触れたのは中学一年生のとき。
「ラジオでLLクールJの曲を聴いた時はビビったね。何これ?って感じ。すぐにレコード屋に探しに行ったよ。 それからNaughy By Nature、Nas、Notorious B.I.G、 Kriss Kross なんかを聴いてるうちに、ライムを書き始めるようになったんだ。その日から自分の趣味が生活に変わっていったね。」

クラスメート達とラップを始めたのは17歳の頃。 学校のカフェテリアが披露の場だったとか。 そして地元クラブのフリースタイル・コンテストに参加し始める。 無論アジア系ラッパーなど周りには誰一人としていない。バトルの時は、いつもアジア人であることを蔑称され、嘲笑され、攻撃の的にされた。しかしジンはその時こう思ったという。
「自分がアジア人であることは、逆に自分の武器なんだって気付いたんだ。アジア人である事を攻撃してくる奴には、それを逆手にとって反撃すればいいのさ。」
2. ニューヨークでの奇跡
高校を中退し、自らが作成したミックステープをストリートで売り、ラジオやクラブのフリースタイルバトル大会に出場しては優勝を総なめにした彼は、2001年に家族と共にニューヨークへ移住。ヒップホップ発祥の地でも精力的に活動していった。
「とにかく何処でも誰でもかまわずバトルしてたね。 公園だろうと、ショッピングモールだろうと、ストリートだろうと。 一度ミスター・チークス(Lost Boyz)を見かけてさ、サインもらいに行く振りして近づいて、彼にバトルを吹っかけたんだ。 俺の圧勝だったよ。」
ストリートでラップを披露している所を、マネージャーにスカウトされる。 そしてマネージャーからBETの人気番組「106 & Park」の名物コーナー「Freestyle Friday」のオーディションを薦められる。

BETはアメリカのケーブルテレビ局の1つで、一日中アフリカ系アメリカ人向けの番組を放送している。 なかでも月~金にかけて放送される生放送の音楽番組「106 & Park」は局の看板番組だ。 最も人気のあるコーナーは「Freestyle Friday」。 2人のラッパーが各自30秒の持ち時間でフリースタイルを披露し、会場に来ている審査員がその場で勝敗を判定するというものだ。 勝者は次週もチャンピオンとして再び参加する事が許され、新たなチャンレンジャーと対決する、という勝ち抜き戦形式。
人気番組ということで会場にはいつも観客がたくさん詰め掛ける。 実力のないものには罵声が浴びせられ、才能のあるものには歓声が鳴り響く。 しかも全米生放送なので、出場するラッパーからしてみれば、そのプレッシャーは相当なものだ。
そもそもこの番組に出場するには、オーディションを通過しなければならない。全国から集められた腕に自身のあるラッパー達が凌ぎを削るのだ。ジンがオーディション会場に着くと、周りに300人の参加者がいた。
「その300人の中で、アジア人は俺一人だったね。 周りは皆黒人かチカーノ。 でも俺からしてみれば見慣れた光景だったよ。」
経験豊富なジンは、実力を存分発揮し、見事番組の出場権を奪取した。
しかしそれは伝説の始まりに過ぎなかった。
3. 衝撃的デビュー
2002年2月22日は、伝説の始まりだった。
挑戦者として参加するジンの相手は、既に6週を勝ち抜いている強敵Hassan。 会場はジンの姿を見た瞬間にHassanの勝ちを決まったかのような雰囲気。 しかし先攻ジンがマイクを握りラップをし始めると、そんな雰囲気は一変する。 後攻のチャンピオンHassanは、言葉を失い、痛恨の途中リタイア。 それはまさに映画「8マイル」の一幕のようだった。

続く2週目、3週目と勝ち続けるジン。
ジンの快進撃は、会場の客だけではなく、審査員、TVで見ている視聴者達までも魅了していった。 大歓声の中、見事7週連続勝利を収めたジンは、晴れて「殿堂入り」を達成した。

続いてレコードレーベルと契約が決まった事を発表。契約したレーベルは、ラフ・ライダース(Ruff Ryders)。 DMXを筆頭に、LOX、Drag-On、EVE(※その当時在籍)などが所属する、あのレーベルだ。

更には、この様子をTVで見ていた映画監督ジョン・シングルトンは、ジンをいたく気に入り、映画「2 Fast 2 Furious」への出演を依頼。 R&Bシンガーのタイリースや、人気ラッパーのリュダクリスも出演するこの映画に、車修理工のジミー役として映画初出演を果たす。

映画内でもフリースタイルを披露。
更にはこの映画のサウンドトラックにも曲「Peel Off」を提供した。

TV番組での偉業達成。
メジャーレコードとの契約。
ハリウッド映画へ出演。
全てが順調に見えたのだが・・・
4. 長い道のり
BETでの快挙により彼の知名度は鰻昇り。 Vibe誌やXXL誌といったヒップホップ雑誌だけでなく、TIME誌、ローリングストンーズ誌、ニューヨークタイムスまでもがジンの記事を掲載。 まさに彼は話題の人となった。

そして多くの人が彼のアルバムを心待ちにした。 しかしその一方で、彼のアルバム製作に対して冷ややかな声も聞こえ始める。
「フリースタイルの実力とアルバムの出来は全く別。」
「スタジオでの彼の実力は未知数。」
「フリースタイルで得たリスペクトを、果たしてアルバムを通しても得る事が出来るのか?」
フリースタイルのラッパーはアルバムではなかなか売れない、というジンクスを、彼にも浴びせたのだ。そんな憶測が行き交うなか、さっそくアルバム製作に取り掛かるジン。Kanye West、Wyclef Jean、Just Blazeといった豪華プロデューサー陣らとスタジオワークをこなす。 配給元も大手Virgin Recordに決まり、お膳立ては全て整ったかに見えた。

しかし所属のラフ・ライダースは、完全に全盛期の勢いを失っていた。 看板ラッパーEVEは離脱。稼ぎ頭のDMXは俳優業に専念するため引退宣言。 更にはVirgin Recordが度重なるアルバムの発売延期を発表。アルバムは既に完成されたのもかかわらず、なかなか世に出てこない状態が続いた。
不運は続く。
2003年11月。 NYチャイナタウンにあるバー「Yellow」にて、地元ギャング団の構成員と思われる男と口論になり、発砲事件へと発展した。 ジンに怪我はなかったが、ジンの取り巻きでラッパーのLSが、ジンをかばおうとして前に出た際に被弾。 病院送りになったものの、一命は取り留めた。
その翌月の2003年12月に、アルバムの前哨戦として1stシングル「Learn Chinese」を発売。

それから待つ事1年、2004年10月に待望のデビューアルバム「The Rest Of History」が発売された。

しかしジンのBET時代から既に2年半の月日が経ち、番組では新らたなチャンピオンが数多く生まれ、完全に彼は過去の人となっていた。
また、実際の録音時期と発売時期に間隔があるため、トラックに若干の古臭さがあることも否めない。
全ての面でそれはあまりにも遅すぎたデビューだった。
5. 引退宣言
1stアルバム「The Rest Of History」は、ビルボード最高位54位と、期待されたほどの売上を上げることはなかった。
それでもジンは積極的なプロモーションを続けた。日本を含めたアジアツアーを消化。 2004年末にはプエルトリコで行われたMCバトル大会「Fight Klub」で、強敵 Shells を打ち負かして見事優勝するなど、決して休むことなく動き続けた。

2005年2月には彼のドキュメンタリーDVD「Making Of Rap Star」を発売。 しかしこのDVDも、当初の発売予定日から1年以上の延期を経てのお目見えだった。

2005年5月、自らのHPで引退を発表。
アルバムの売上不振や、ラフ・ライダースから契約が切られたことがその理由として憶測されるが、はっきりとした理由は言明しなかった。 今後は俳優活動や、自身が立ち上げた非営利団体YOFAMを通して、アジア系アメリカ人の地位向上ためボランティア活動を続けていくそうだ。
以前彼はこう語っている。
「俺は自分がアジア系アメリカ人最初のラッパーだとは思わない。アンダーグラウンドには才能あるアジア系ラッパーが沢山いるよ。 彼等にドアを開く事が俺の役目だと思うんだ。」
彼が残した功績は大きい。
しかし、彼の早すぎる引退を嘆く声が多いのも事実だ。
JayZやMaster P、DMXのように引退宣言を撤回してカムバックする前例もある。
いつになるかわからないが、彼のカムバックを皆で祈ろう。

オフィシャルサイト
http://www.myspace.com/jinthamc
引退宣言に伴い、以前のサイトは閉鎖されてしまいました。
現在のサイトは内容的にかなり貧弱です。
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ジンの映画がついにDVD化

以前エントリで取り上げたJINのドキュメンタリー映画「 No Sleep Till Shanghai 」を覚えているでしょうか? 日本・台湾・中国で行われたジンのアジアツアーに密着し、各国でのヒップホップ事情にも迫ったというこの映画。 遂に待望のDVDが発売されます!
発売は2007年5月22日です。
Amazon.com - No Sleep Till Shanghai
No Sleep Til Shanghai - Trailer
この映画が公開されたのが2005年ですから、2年越しのDVD化実現です。 まさに待ちに待ったという感じです。 ただしリージョンコードはアメリカ仕様みたいですね。 今回のDVD発売に合わせてロサンゼルスとフェニックスでリリースパーティーも開かれるそうです (*´∇`*)





◎ 今日の独り言 ◎
日本でのツアーの模様も収められているはずなので
DVDの日本発売を切に願います(´∇`)ノ
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パジャマパーティー

中国系アメリカ人ラッパーのJIN
ここ最近は相次ぐCDリリースで、フリースタイルラップからは遠のいた感のある彼ですが、なんと言っても彼の一番の特徴はその優れたフリースタイル能力にあります。 そこで、今日は彼の驚愕のフリースタイルスキルを堪能できる映像をご紹介します。
2004年1月。 ロサンゼルスで行われたNBAのオールスターゲームを観戦するため訪れたJINとその仲間達。 彼らが滞在先のホテルでフリースタイルラップをして大いに盛り上がっている時の映像がこちらです。
Jin - Freestyle In a Holte
JINの放った強烈なパンチラインの数々に大興奮している周囲の反応が面白いです。
このビデオを撮影しているのはJINのドキュメンタリー映画やPVを手掛けている Todd Angkasuwan 氏。 彼は他にも Far East Movement や Chan といったエイジアンラッパー達を多く手掛けています。
その Far East Movement も上記のビデオの中に映っていますね。 先日リリースされたジンの中国語アルバムにも、Far East Movementがプロデューサーとして全面的に関与していました。 彼らがこうしたコラボを通して、今後のエイジアンラップシーンを大いに盛り上げていってくれることでしょう。 エイジアンラップに幸あれ! (ノ´▽`)ノ





◎ 今日の独り言 ◎
バスローブにベースボールキャップという着こなしがすごいですね。
室内だけど帽子を被り続けるところにB-Boyイズムを感じます (*´∇`*)
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JINの中国語アルバムが発売

中国系アメリカ人ラッパーのJIN。
長らく噂されていた中国語アルバムが遂にリリースされます!
発売予定日は2007年2月20日。 中国のお正月に合わせてのリリースとなります。 さらに昨年6月からずっと工事中だったオフィシャルサイトabcjin.comもようやく開設されました。 サイト名にもなっている「ABC JIN」とは「American Borned Chinese」の略で、アメリカ生まれの中国系アメリカ人を意味します。 まさにJINのようなバックグラウンドを持っている人達のことです。

現在サイト内にて新曲 「You're Fired」 が無料でダウンロードできます。 直リンクはこちら。 この曲はアメリカの女性コメディアン、ロジー・オドネル (Rosie O'Donnell) に対するディスソングです。 ロジーはコメディアンとして活動する傍ら、映画 「ミザリー」 や 「めぐり逢えたら」 などにも出演している女優です。

問題になったのは2006年12月5日に放送されたロジーが司会を務めるトーク番組 「The View」。 番組内でロジーがアジア人を嘲笑するようなジョークを使用し、放送終了後にアジア系コミュニティから抗議が殺到しました。 ニューヨーク市会議員の John Liu 氏は番組宛に抗議文を送付。 JINも前述のディスソングを発表しました。
CTV.ca - Rosie O'Donnell sorry for mocking Chinese
この件についてロジーは 「別に悪気はなかったんだけど、気分を害した人がいたのなら謝るわ。 もしかしたら 来週にでもまた同じような発言をしてしまうかもしれないけど、全然悪気はないからね。」 と謝罪。 この発言に対しても 「謝罪になっていない」 と非難の声が挙がっています。 他人種をネタに笑いを取ることは極めてデリケートな問題であり、ロジーほどのキャリアがある人がこのような軽率な言動を取ったことは、極めて残念かつ遺憾です。
最後にアルバム関連のニュースをもう一つ。

昨年末にMySpace限定で発売されたアルバム 「I Promise」 が大手CD販売サイトCD Babyにて購入可能になりました。 前回ゲットできなかった方はこれを機会に是非!





◎ 今日の独り言 ◎
JINの中国語アルバムにはプロデューサーとして
Far East Movement が参加しているそうです
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JINがニューアルバムを年末に発表

先日コメディアンデビューを果たしたばかりのジン。
しかし今後も主軸は音楽活動のようです。
10月2日にアップされた自身の MySpace のブログにて、
ニューアルバムについて語っています。 以下がその概要です。
先月からスタジオに こもりっきりでニューアルバム 「 I Promise 」 のレコーディングを続けてるんだけど、とにかく最高で仕上がりになってる。 で、このアルバムを年内にリリースすることになったんだ! 今回のアルバムはちょっと変わった形で出そうと思ってる。 まず数量限定であるということ。 そしてMySpace限定で発売するということ。 MySpaceを使い始めて2年位経つんだけど、ここでたくさんのファンの人達と出会うことが出来たからね。
アルバムの詳細は追々お伝えします。
それではそれでは

ジンは今年の8月にアルバム 「 100 Grand Jin 」 を発売したばかりなので
ずいぶん早い間隔で新作をリリースするんだなぁ、とちょっと驚きました。
新作は MySpace からのみオーダーが可能、そして数量限定というのが弱冠気になりますが
ファンにとっては こうして次々と新作が聞けるというのは なんとも嬉しいですね♪





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ジンがコメディアンに転向?

ラッパーのジンが先日ライブを行いました。
それもコンサートではなく、スタンドアップ・コメディのライブです!
こちらでその模様が見れます
http://www.imnotacomedian.com/
http://www.myspace.com/imnotacomedian

上記のリンク(MySpace)にあるビデオの冒頭に、こんなテロップが流れます。
ある小さなコメディ劇場に コメディアンではない男を
酒で酔っ払っている観客達の前に出したら どうなるだろう?
有名コメディアンのデイブ・チャペルやクリス・ロックの大ファンだというジンは、以前からスタンドアップコメディに挑戦してみたいと思っていたそうで、今回の開催となりました。 初挑戦と言うことで当日の入場料は無料だったそうです。 元々バトルラッパーであるジンは、ウィットに富んだリリックで昔からよく笑いを取っていました。 そう考えるとマイク片手にオモシロ話を繰り広げる Stand Up Comedy との共通点は多いのかもしれません。

当日は「 よくいる黒人コメディアンの盛り上げ方 」「 アジア人男性のあそこが小さいという噂の真相 」といった漫談を50分ほどステージで披露しました。 向こうでの批評を覗いててみると 「 まあまあかな 」という声が多いようです。 とはいえ最初から全てが上手く行くことなどないので、これから切磋琢磨して徐々に上達していくのを見守っていきましょう。
ジンが今後コメディアンとして どう活動していくのかは よく分かりませんが、当日着ていたTシャツに 「 I'm Not A Comedian (=コメディアンじゃないよー) 」 と書いてあるとおり、あくまでもメインは音楽活動のようです。

まずは来年の旧正月 ( =中国の正月のこと。っていつだ? ) のリリースに向けて中国語アルバムのレコーディングが進んでいるそうです。 そのわりにはABCJIN.com がずっとComing Soon状態なのがちと気になりますが・・・(・ε・ ) とはいえ、次々と活動範囲を広げていくジンから今後とも目が離せませんね♪





(*´∇`*) このブログからも目を離さないでね (*´∇`*)
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Jin in 香港 (写真編)
先日のエントリでお伝えしたジンの香港&台湾ツアー。
今日はその模様を写真で振り返ってみましょう。
香港の地下鉄で

よく見るとジンの横には現地の女性ファンが! (・∀・)
彼女達も一緒にディズニーランドに行ったみたいです

ミッキーマウスの噴水前でジャンプする JIN と YoungMac
ディズニーランドってことで かなりテンションあがってますね(笑)

スペースマウンテンに乗っている時の写真
最前列にJINが座っています

元 Bad Boy Record のラッパーLOONとパチリ。
Catch氏いわく、今後JINとLoonがコラボする可能性もあるとか。 楽しみですね。

これは今回のツアーではないのですが、
去年JINが中国を訪れた時に、向こうの音楽雑誌の表紙を飾ったそうです。
この「Urban」という雑誌は、現地で最も人気の音楽雑誌だとか。
なんだか知らないけどCatch氏も一緒に写っています。
一番左にはマネージャーKamel氏の姿も。






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JINバトン

Tha House Of Rhyme's FlowのめぐみさんからJinバトンを頂きました!
ということでJINにまつわる10の質問について答えたいと思います。
1. Jinファンになったきっかけは?
2002年の頃。
BETの「106 & Park Freestyle Friday」に出演しているJINのビデオを偶然見つけて。
これに勝てば殿堂入り達成という、7週目の放送でした。
「観客を沸かしまくっている このエイジアンは誰だ?」というところから全てが始まりました。
審査員のワイクリフが驚いている姿は何度見ても興奮モノです。

2. 好きな曲を挙げてください。
・「 I Loved You 」 ・・・・・ 珍しいラップバラード。
・「 Hey Jin 」 ・・・・・・ Cam'ronの「Hey Ma」のリメイク
・「 Asian Girls 」 ・・・・ Jayzの「Girls, Girls, Girls」のリメイク
どれも正式リリースはされていないのですが、お気に入りはこの3曲。
全てこちらで聞くことが出来ます。
3. Jinの魅力は
とびぬけたフリースタイルの実力。
そしてフレンドリーで気さくな性格。

4. Jinの公式サイト、My Space、Live Digitalはチェックしてる?
MySpace や LiveDigital は結構見てます。
公式サイトは正直全然(笑)
5. Jinファンとして、自慢できる話、グッズ、レアな音源などあったら挙げてください。
グッズ関連は皆無です (´・ω・`)
喉から手が出るほど欲しいですが・・・
しいて言うなら、私がMySpaceをはじめて一番最初にコメントをくれたのがJINアニキでした。

6. Jinと絡んで欲しいアーティストやプロデューサーは?
R&Bシンガーとの絡みが見たいですね。
個人的には El Debarge とか。
エルが例のフォルセットでサビを歌い、Jinがラップする、みたいな。
あ、あと Flavor Flav と是非!
7. 今後、再度メジャーでデビューする可能性はあると思いますか?
あると思います。
Ruff Ryderzとの契約が解消次第ですが。
BMR誌によると、JIN が The Emcee に改名したのも
ラフライダースとの契約が関係しているみたいですね。
8. Jinに望むことは?
ズバリ Fight Klub 3連覇!
あと、因縁の相手 Serius Jones と SUNNY を撃破して欲しい。
9. 最後にひとこと
映画にはもう出演しないんでしょうか?
引退騒動の時に「今後は俳優業にすごい興味がある」と言っていたのですが・・・
スクリーンでJinの姿をまた見たいですね。
とりあいず「 No Sleep Till Shanghai 」の国内DVD化を切に希望します!

10. 次にバトンを回す人は?
赤髭様
お時間に余裕のある時&気が向いた時でよいので。
コメントに書き込んで頂ければよろしいかと。





♪行ったり来たり すれ違い 私と人気blogランキングの恋♪
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ジン 万里の長城へ

現在、JINは中国にいます。
現地ではライブを行っているそうです。
先日スケジュールの合間をぬって、万里の長城へ行ってきたようです。
山頂めざしていざスタート!

先は長い・・・

銅像とおどけてみたりして・・・

あと一息・・・

頂上制覇!

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ビショップ、ジンについて語る

ビショップ・ブリガンテ(Bishop Brigante)が HipHopCanada.com のインタビューで、
ライバルのジンの事や、自身の今後のキャリアについて色々語っています。
興味深い箇所を抜粋してみました。
2005年に行われたジンとの2回目のバトルは、当日急遽決まったそうですが、
どのような経緯でバトルすることになったのですか?
そうなんだよ、あの日バトルを行う予定なんか無かったんだ。
面白い話だから順を追って説明しよう。
あの日、友達から電話がかかってきたんだ。
ジンが地元トロントのクラブでライブするって聞いてね。
そいつはライブを見に行くって言うから、俺も一緒に行くことにしたんだ。
もちろんバトルるするつもりなんて全然なかったんだぜ。
ただ奴のライブを覗きに行ったんだよ。

ライブ会場のクラブに到着して、俺は2階にあるVIP席に向かったんだ。
そしたら そこにジンとラフライダースの連中がいてね。
俺の姿を見るなりラフライダースの奴らが、俺に喧嘩を売ってきたんだ。
「お前 ラジオでジンのことディスしてたらしいな。 ラフライダースをナメてんじゃねえぞ」
とか言ってきてさ。
そいつら俺の周りを取り囲んで、今にも殴りかかってきそうな雰囲気になったんだ。
すると どこからともなく俺の地元の連中が集まってきてね。
「FUCK ラフライダース! ビショップ、こいつらやっちまおうぜ!」
って加勢に来てさ。
そしたらジンが俺のところに来て、仲裁に入ったんだ。
JIN | 「ビショップ、俺達と殴り合う為にここに来たのか?」 |
BISHOP | 「そんなんじゃねえよ。俺はただお前のライブを見に来たんだ」 |
JIN | 「俺のことをラジオでディスしてるってのは本当なのか?」 |
BISHOP | 「お前の事を聞かれた時は、いつでもジンはクールな奴だって言っているよ。 |
ただ実力は俺の方が上だ、とも言ったけどな」 |
そうしたらジンのライブが始まる時間になっちまって、奴らはステージに向かったんだ。
俺はそのままVIP席で奴のライブを見てた。
ライブが中盤に差し掛かったところで、奴が音楽を止めてこう話し始めたんだ。

JIN 「カナダに来ると、どいつもこいつも同じ質問をしてくるんだ。 『ビショップを倒す自信ある?』って。 そのビショップが今あそこにいるんだけどさ、さっきあいつが『俺はトロント史上最高のラッパーだぜ』って言うのさ。」
そんなの大嘘だよ。 俺はそんなこと言ってないんだぜ。
観客は俺に向かって全員ブーイングしてきてさ。 笑っちまったよ。
JIN 「オレが奴をコテンパに負かすところ見たい?」
観客が沸き返る中、俺はステージに向かってマイクを手にしたってわけ。
それからどうなったかは、皮肉にも Rest Is History(=皆さん ご存知のとおり) だけどな。
3度目のバトルでは負けてしまいましたが、振り返ってみてどうですか??
誰が見てもわかるとおり、あの日の俺はまるで別人のようだった。
言い訳はしたくないんだけど、いつもの調子が全くせなかったんだ。 あの日JINは完勝だったね。 前回のバトルと違って、今回は前もって予定されていたバトルだったから、ジンは強烈なライムをたくさん用意して来てた。 それが俺には嬉しかったよ。 俺を強敵だと見なしてくれたんだと思う。 あいつはあの夜 本当素晴らしかったね。 奴の成功をこれからも祈っているよ。

あのバトルでの敗北から、学んだことがあるんだ。
今まで俺はあんな無残な負け方をした事は無かった。 それまではいつも俺の周りには大勢のダチがいてさ。 でも負けた途端にその大半が俺の元から去って行ったよ。 いい時には集まってくるんだけど、悪い時には背中を向ける奴がこんなにいるんだ、と初めて知ったね。 負けた後も変わらず俺に接してくれる残りの奴らが 俺の本当の友人だったんだな、とわかったよ。
ジンとの関係はどうなんですか? 今後 彼と共演する可能性などありますか?
ジンと俺はクールだぜ。 ビーフがあったのはさっき話した2回目のバトルの時だけだ。 あのバトルの次の日、おれたちはニューヨーク行きの飛行機で一緒になったんだ。 その時に奴と話をしてさ。 お互いリスペクトとする関係になったってわけ。 奴とは共通の友人も多いんだよ。 もしあいつと共演する話が来たら、やってみたいね。 過去にビーフがあったからって、そんなの関係ねえよ。 いいビートと、チャンスがあるなら、当然やるしかないでしょ。
あなたは映画「NARC」にも出演していますが、今後の俳優活動について教えてください
今は俳優業には力を入れていないんだ。
オファーが来るのは どれも同じような役柄ばかりでね。
ゲットー出身のラッパー野郎とか、そういうのを演じるのは正直もう飽きたんだよ。
もし次やるとしたら、今までとは違う全く別な役をやってみたいね。

以前から噂されているデビューアルバムはどうなりましたか?
本当ならあのアルバムは2年前に出る予定だったんだ。
でもミュージックビジネスには面倒な事がたくさんあってね。 横からいろいろ口出しして邪魔する奴らがたくさん出て来るんだよ。 だから、まず俺がやらなくちゃいけないことは、俺の意見を尊重してくれるようなビジネスパートナーを探すことだったんだ。 その環境ももうすぐ準備できるはずだ。 長い間待ってくれているファンには、もう少しだけ辛抱して欲しい。 発売まであと少しだからさ。

なるほど~∑(゜∀゜)
バトル前の一触即発の話は とても興味深いですね。 そういう前触れがあって実現したバトルだとは知りませんでした。 度重なるアルバムの発売延期という問題は、ジンも長い間抱えていた問題でしたね。 なんとかしてリリースまで辿り着いて欲しいです。 また、インタビュー内で話題に上がったビショップとジンの共演も、いつか実現して欲しいですね ( ´ー`)