Category: ヒップホップ全般
目を離すな! この男、大旋風を巻き起こす予感あり!

サンフランシスコのベイエリア。
この地域のヒップホップ事情といえば、やはりまず思い浮かぶのが巨漢ラッパーE-40だ。
彼が率いるレーベル Sick Wid It Records は、これまで数々のラップアーティストを輩出してきた。その中に「NUMP(ナンプと読む)」というフィリピン系ラッパーがいたのをご存知だろうか?
日本ではあまり知られていないナンプ君だが、彼はこれまでに2枚のアルバムをリリースしており、特に2007年にリリースされたシングル「I Gott Grapes」は空前のローカルヒットとなり、「ハイフィ・ムーブメント」と呼ばれる新しい音楽ジャンルの火付け役ともなったのだ。


もともと彼はサウンドエンジニアとして働き始め、グリーン・デイやイギー・ポップなどのレコーディングに参加していた。そんな中、同郷のE-40と仕事をした際に、ラッパーとしてのスキルを認められ、見事デビューを果たしたという変り種だ。
そんな彼が下積み時代から暖めていた野望が、ついにこのたび現実になったのだ。
それは「アジア系アメリカ人ラッパー達のレコードレーベル設立」という前代未聞の野望だ。全米各地から才能あふれるアジア系ラッパー達がナンプの元に集結し、アメリカの音楽史上初となるアジア系ギャングスタラッパー達のレーベル「454 Life Entertainment」が発足したのだ。
まずはこのビデオを見て欲しい。
レーベル所属のアーティストが、自己紹介を兼ねて順番に自慢のラップフロウをアカペラで披露している貴重な映像だ。
Thai, IZ, Drew Deezy, and Nump
このレーベルの四天王となるのが、ナンプ(フィリピン系)、タイ(ベトナム系)、イージー(韓国系)、ドリュー・ディージー(サモア系)。
ナンプ以外の3人は、自らのギャング経験や、刑務所での服役経験などについてラップするハードコアでサグな猛者どもばかり。 特にタイに関しては、2003年ごろからアンダーグラウンドで活動しており、その名前をご存知の方も多いのではないだろうか。「アジア系ギャングスタラッパー」という肩書きが異色すぎたため、これまでくすぶっていた感のあった彼だが、ナンプという力強い後ろ盾を手にし、今後どのような飛躍を遂げるのかがとても楽しみだ。




彼らは、全盛期の No Limit Records を彷彿させるようなスピーディーなリリース間隔で、次々とYouTube上でPVを発表している。また、それらが決して低予算のものではなく、かなり良質なものばかりなのが驚きだ。さらに、ボビー・バレンティーノやフリーウェイなど、外部からの客演アーティストたちも多々招き入れ、作品に華を添えている。 彼らの豊富な資金力とそのハードワークさにはただただ脱帽するばかりだ。
彼らの作品の中で、個人的にひときわ好きなのが「We International」(PV下記参照)だ。 外部からのゲストとして、現在Gユニット所属のフリーウェイをフューチャーしたこの曲は、躍動感あふれるトラックに、刻みのいいマイクリレーが展開されているヒップホップファンにはたまらない出来栄えだ。
We International - Drew Deezy, Thai, IZ & Freeway
その反面、R&Bシンガーのボビー・バレンティーノが滑らかにフックを歌い上げる「I Don't See Nothing Wrong」(PV下記参照)は、メローな雰囲気漂うパーティーチューンで、決してハードコア一辺倒には偏らない彼らの器用さが垣間見れる良作に仕上がっている。
I Don't See Nothing Wrong - Drew Deezy, Thai & Bobby Valentino
レーベル発足後初となる待望の1stアルバム「As Real As It Gets」も遂にリリースされた。 所属アーティスト達の曲を収録したレーベルのコンピレーションアルバムになっている。 前述の2曲をはじめ、今話題のエレクトロ系ラップ的な楽曲も収録されていたりして、幅広い作品に仕上がっている。 このアルバムは、ここ日本でもAmazonやItuneなどでデジタルダウンロードでの入手が可能だ。
454 Life Entertainment - As Real As It Gets

次なるアジア系アーティストの発掘に余念がない彼らは、続々とニューカマー達がレーベル入りを果たしている。 また、他のアジア系ラッパー達との交流も盛んで、以前このブログでご紹介したことのある Far East Movment や Jimmi Boi が454製作のPVにカメオ出演していたりする。さらには、アジア系R&Bシンガーの発掘にも触手を伸ばし始め、レーベルとして更なるステップアップを目論んでいるようだ。
なにぶん過去に例のない「アジア系のギャングスタラップ」という未知の境界に踏み込んだ彼ら。無論その道のりは険しいが、彼らの挑戦はまだ始まったばかりだ!
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◎今日のひとこと◎
私の大好きな音楽ライター、丸屋九兵衛氏もナンプの大ファンだとか♪ o( ̄ー ̄o )
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ビギーの自伝映画、公開迫る!



以前から噂されていたラッパー、ノートリアスB.I.Gの自伝映画がもうすぐ公開されるようです! 配給元はFOX、アメリカでの封切りは2009年1月16日の予定。 それに先駆けて先日の BETヒップホップアワードにて予告編が公開されました。 あのビギーの自伝映画と聞いて、最初は少し偏見を持っていたのですが、予告編を見たらそんな気持ちは一蹴されました。 かなりオモシロそうです!
Notorious - Official Trailer
この映画は元々「トレーニング・デイ」の監督 Antoine Fuqua がメガホンを取る予定でしたが、最終的に「ソウルフード」の監督 George Tillman, Jr. に決まりました。 彼はデニーロ出演の「Men Of Honor」なども撮っている人なので、人間ドラマを描かせたら その腕は確かです。



ビギー役には Jamal Woolard という無名の新人さんが抜擢されました。 ビギーの母親役はアンジェラ・バセット、2パック役は「8マイル」のパパ・ドック役がハマり役だったアンソニー・マッケイ君が演じています。 他にもP・Diddy役やスージー・ナイト役、スヌープ役、リル・シーズ役などもあるのですが、どれもあまり有名でない役者達が演じています。 実在の人物を演じるに当たり、あまり有名でない役者さんが演じた方が、変なイメージがなく見れるから良いかもしれませんね。



現時点で確認できるキャスティングを見る限りでは、元ビギーの愛人で現ラッパーのチャリー・バルティモアに関しては、残念ながらこの映画では触れられてないみたいです。 ビギーの恋愛関係は、フェイス・エバンス、リル・キムとの三角関係に絞って描かれているようで、予告編では殴り合いをするフェイスとリル・キムの姿も・・・(゜0゜;)
ともあれ早く本編が見たいですね。
日本で劇場公開されるのかは疑問ですが、いち早いDVD化を切望します!(・∀・)





◎ 今日の独り言 ◎
シルベスタ・スターロンが監督するの同名異作のビギーの映画は
テレビ用のドキュメンタリー作品として製作されているようですが
権利関係で揉めているようです (・ε・ )
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かつての人気女性ラッパー、YO-YOは今?

かつて西海岸No.1の女性ラッパーと呼ばれたYo-Yoを覚えているでしょうか?
グラミー賞にもノミネートされたことのある彼女ですが、現在はどうしてるのでしょうか?
これまで彼女が歩んできた軌跡も含めてそのキャリアをざっと振り返ってみましょう。
1. 女版アイス・キューブの登場
ヨーヨーは1971年ロサンゼルス生まれ。
本名のヨランダをもじってヨーヨーというあだ名がつきました。 彼女が19歳の時にアイスキューブに発掘され、キューブのアルバム「 AmeriKKKa's Most Wanted 」に参加します。 彼女のラッパーとしてのキャリアの始まりでした。 その翌年にはアイスキューブの所有するレーベルからデビューシングルとなる「 You Can't Play With My Yo-Yo 」をリリース。 アイスキューブと共演したこの曲は大ヒットを記録し、デビュー1枚目にしてビルボードの Hot Rap Single チャートで1位を獲得します。

ヨーヨーのその人気の秘訣は、もちろんアイス・キューブの全面的バックアップを受けたこともそうですが、何よりも男性顔負けの力強いアティトゥードと、女性であることを前面に出したリリックが同姓から高い支持を受けました。 また、同時期に活躍した クイーン・ラティファ や MCライト といった女性ラッパー達はみな東海岸出身であり、ヨーヨーのような女性ラッパーは当時のウェストコーストでは極めて稀な存在であり、そのようなことも彼女の人気につながったと思われます。
2. 二枚目のジンクス

その後のヨーヨーに厳しい現実が待ち受けていました。
セカンドアルバム「 Black Pearl 」では大胆な方向転換に試み、これまでの激しいリリックを封印して一貫したポジティブなリリックを展開します。 これが原因で多くのファン達が離れ、アルバムは大きな失敗作に。 その後ヨーヨーは再び元のスタンスに戻り、翌年に3rd「 You Better Ask Somebody 」で起死回生を計ります。 キューブと再び共演した 「 The Bonnie and Clyde Theme 」はスマッシュヒットしますが、アルバムはヒットせず、デビュー当時の成功には遠く及びませんでした。

レコード会社をエレクトラに移籍して1996年にリリースした4thアルバム「 Total Control 」も失敗に終わり、その後3年のブランクを挟んで彼女は再びスタジオに戻ります。 ミッシー・エリオットを大々的に招いて新境地に挑んだ意欲作 「 Ebony 」を完成させますが、前評判に手応えを感じなかったレコード会社側はこのアルバムの発売中止を決断。 陽の目を見ぬままお蔵行きとなってしまいます。 これ以降 現在に至るまで彼女のアルバムは一切リリースされていません。 ウェストコーストのおける女性ラッパーの先駆者である彼女にとって、それはなんとも寂しすぎる終焉でした。
「 あの頃は自分のオリジナリティを見失っていた時期だと思う。
東海岸のプロデューサーと組んだり色々試行錯誤したけど結局機能しなかったの。
今思い返してみれば、あの作品がああいう形でリリースされなくて逆に良かったと思っているわ。」
3. 女優として、DJとして

ラッパーとして第一線から退いた彼女は、活躍の場を銀幕へと移します。
兄貴分であるアイスキューブが出演していたフッドムービーの傑作「 Boyz N The Hood 」に小さな役で出演したことをきっかけに、彼女は着実に女優としての仕事を増やしていきます。 「 メナースIIソサエティ 」や「 天使にラブソングを2 」、「 Who's The Man 」、「 パンサー 」など、決して大きな役ではないけれども有名どころのブラックムービーにコンスタントに出演します。 さらに音楽界を引退してからは名門の演技学校「リー・ストラバーグ・インスティテュート」に入学し、本格的に2年間演技を勉強しました。 そして2008年現在に至るまでに合計20作品もの映画やドラマに出演しています。



その一方でロサンゼルスのラジオ局KDAY.にて長年ディスクジョッキーを務めます。 そこでの活躍が認められ、ここ日本でも大ヒットしたテレビゲーム 「 Grand Theft Auto: San Andreas 」にラジオのDJ役で参加しています。
近年ヨーヨーは更なる新しい活動を見せています。 自らの母校であるロサンゼルスにある高校の作詞クラスで教鞭を取ったり、MCライトと共に才能ある若者に奨学金を送るためのチャリティイベントを度々開催するなど、指導者として積極的に地域に貢献しています。
4. 次なるヨーヨーを捜して

「 音楽界を離れて改めて自分がヒップホップが好きだと言うことを痛感したわ 」
2008年。
ヨーヨーは再びヒップホップの舞台を戻ってきます。
アメリカのテレビ局VH1で今年の4月から放送されている新番組 「 Miss Rap Supreme 」は、ヨーヨーがホストを務めるヒップホップ番組です。 この番組では次世代の女性ラップスターを発掘しようという狙いのもと、全米で開催されたオーディションを勝ち抜いた10人の才能溢れる女性ラッパー達が、優勝をめざして毎回課題に挑戦していくというリアリティ番組です。

「今のヒップホップ界には女性ラッパーの数が圧倒的に少ないと思う。
この番組に出演している10人の女性ラッパー達が、その状況をきっと変えてくれるはずよ。
もちろん私にもチャンスがあればラッパーとしてもう一度挑戦したいと思っているわ。」
90年代初頭に女性ラッパーとしての道を切り開いたヨーヨーが自ら新たなる才能を見出し、女性ラッパーの復興に一役買おうと現在奮闘中です。 その新しい才能が今後どう開花するのか。 そしてヨーヨー自身のラッパーとしてのカムバックがあるのか。 今後の展開がとても楽しみです。





◎ 今日の独り言 ◎
番組のもう1人のホストは 3rd Bass のMCサーチが務めています
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ソルジャ・ボーイが訴えられる! その相手とは・・・

YouTubeにアップした 「 Crank That 」 が爆発的に大ヒットし、一躍売れっ子ラッパーへと成り上がったソルジャー・ボーイ。 最近ではアメリカンミュージックアワードに出演し、グラミーにもノミネートされるなど、その勢いは止まりません。 ついこの間まで全くの無名だった17歳の少年がインターネットを通じて大ブレイクするという、まさに新世代のアメリカンドリームを掴みました。
しかしそんなソルジャボーイが先週訴えられたとのニュースが飛び込んできました。
しかもその訴えた相手というのが、ラップグループ Mo Thugs Family のメンバーだとか。
TMZ.com - Souljah vs. Soulja -- What's in a Name?

Mo Thugs Family は、ボーン・サグスン・ハーモニーの地元オハイオ州の友人達をかき集めて結成したヒップホップグループです。 元々はそれぞれが別々のグループで活動していた複数のミュージシャン達が1つになったという大所帯ユニット。 彼らが1997年にリリースしたデビューアルバム「 Mo Thugs Family Scriptures 」はプラチナムを記録。 その後はすっかり耳にしませんでしたが、ずっと活動していたんですねぇ。 これまでに合計4枚のアルバムをを発表し、現在はインタースコープに所属しているそうです。

で、これも初めて知ったんですが、そのメンバーにソルジャ・ボーイという同名の人物がいるんですよ。 その人物が名前を盗用されたと主張し、新鋭のソルジャ・ボーイを今回訴えたというわけです。 でも正確には両者の名前の綴りが微妙に違っています。 Mo Thugs のソルジャー・ボーイは名前に"H"が含まれています。
訴えた方 | SOULJAH BOY |
訴えられた方 | SOULJA BOY |
この手の名前に関する訴訟は有名無名に関わらず、以前からその名前を使っていた方が絶対的に有利なのが常。 だたしこの一文字の違いがどう判断されるかが今後のカギになるでしょう。 新鋭のソルジャー・ボーイからしてみたら、盗用した気は毛頭ないと思うのですが、今後もし名前が使えなくなると かなりの痛手です。

名前で訴えられたことのあるラッパーというと、2 Live Crewのルークが前例として挙げられます。 彼の本名はルーサー・キャンベルなので、ラッパー名がルークなのはいいのですが、自身が立ち上げたレコード会社に 「 ルーク・スカイウォーカー・レコード 」 と命名してしまい、映画 「 スターウォーズ 」 の監督 ジョージ・ルーカスから訴えられました。 但しその時も正確に言うと名前の綴りが微妙に違っていて、ルークのレコード会社の名前の方が"Y"が一つ多かったんです。
映画の主人公の名前 | Luke Skywalker |
ルークの会社の名前 | Luke Skyywalker |
にもかかわらず判決はジョージ・ルーカス側が勝訴。 ルークのレコード会社は 「 Luke Records 」 に改名する運びとなりました。 これ以外でもルークは卑猥な歌詞が原因で各方面から訴えられ、95年に破産宣告をうけることになります。 しかしその後彼は不死鳥のように復活を遂げるのですが、それはまた別のお話・・・ (σ`(Å)´)σ





◎ 今日の独り言 ◎
かつて千葉真一はアメリカで「ソニー千葉」と名乗っていましたが
SONY から訴えられ「サニー千葉」に改名させられましたね
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ラッパー+俳優+学生+バスケ=ロミオ

お子様ラッパーのリル・ロミオ君を覚えていますか?
No Limit軍団の隊長マスターPの長男として1989年にルイジアナ州で生まれたロミオ君は、12歳の時に 「 My Baby 」でラッパーデビュー。 Jackson 5の「 I Want You Back 」を下敷きにしたこの曲は、そのキャッチーなノリがウケて大ヒットを記録。 それまでマイケル・ジャクソンが保持していたデビューシングルでビルボード1位を獲得したソロアーティストの最年少記録を塗り替えるという、この上ない華々しいデビューを飾りました。 その後コンスタントに3枚のアルバムを発表し、ケーブルテレビ局 Nickelodeon で3年間放送されたコメディドラマ「 Romeo! 」では主演を務めるなど、俳優としても活躍しました。

2006年には名前から リル を取り除き「ロミオ」に改名。 しかしながらラッパーとしては「 My Baby 」以降はヒット曲にも恵まれず、人気は下降線を辿る一方。 さらに「 My Baby 」は全部自分でリリックを書いたと当時コメントしていたのにも関わらず、実はゴーストライターがいて、そのライターが充分なギャラをもらっていないと訴訟を起こす事態にまで発展。 一部の間では「親の七光りラッパー」とも呼ばれ、ここ最近ではバウワウとのビーフくらいでしか目立った動きはありませんでした。
そんな彼の名前を先週久しぶりにニュースで目にしました。
ESPN.com - Rapper Lil' Romeo signs to play basketball at USC
アメリカの大学バスケNCAAの1部リーグに所属する南カルフォルニア大学に、この度ロミオ君がスポーツ奨学生として入部することが正式に発表されました。 現役のラッパーが名門バスケ部にスカウトされるとは極めて稀なケースです。

バスケット選手としての彼の実力はいかに?という点が気になる人が多いと思います。 これまでの彼のキャリアをざっと振り返ってみると、ビバリーヒルズ高校のバスケ部で3年間ポイントガードとして活躍。 その実力が認められ2006年に開催されたリーボック主催のトレーニングキャンプに徴集されています。 このキャンプは、将来有望視されているトッププレイヤー達だけが参加を許されるもので、ロミオは全米の高校生ポイントガードの中でもトップ15に入るほどの逸材だと言われています。
彼が実際にプレイしている映像はこちら。
白いヘアバンドしているのがロミオ君です。
Lil Romeo - Transformer
ビデオ内でダンクを決めている黒のユニフォームを着ている選手は Demar DeRozan というコンプトン高校出身のプレイヤーで、彼もロミオと同じく南カルフォルニア大学に奨学生として入学する予定の選手です。 彼とロミオは以前から親しい間柄だとか。
先日行われた記者会見で、ロミオは今の気持ちをこう語っています。
「 今回こうして奨学生として大学に入れたのは、僕にとってアメリカン・ミュージック・アワードで受賞することより重要なこと。 これからはバスケに勉強に精一杯頑張っていきたい。 」

現在ロミオ君は身長185cm、体重77キロ。 昨シーズンの平均スコアは得点13.9、アシスト5.6を記録しています。 デビュー当時あんなに小さかったロミオ君が、そんなに大きくなっているとは驚きました。 しかしバスケット選手としてはかなり小柄のほう。 そしてポイントガードのわりにはアシスト数が少ないのも気になります。
アメリカの大学バスケはNBA並みに人気があるぶん、そのレベルは非常に高く、練習の過酷さも半端ではありません。 芸能界と二足のわらじを履けるほど甘い世界ではないですし、選手としての課題もたくさん残されています。 今後は険しい道になるとは思いますが、親父直伝の No Limit 魂で頑張って欲しいです (´∇`)ノ





◎ 今日の独り言 ◎
マスターPもかつてNBAのトライアウトを受けたほど実力の持ち主だとか。
今回の息子の大学入学を ことのほか喜んでいるようです (*´∇`*)
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Salt N' Pepa

塩こしょう。 英語名表記ではソルト・イン・ペパ。
女性ラップグループというと誰よりも先に彼女達の名前を浮かべます。
そんな先駆者である彼女達が、最近新たな動きを見せています。
これまでに彼女達が歩んできた道のりと合わせて振り返って見ましょう。
1. ふとした始まり
ニューヨークのカレッジで一緒に看護学を学んでいたソルト ( Cheryl James ) とペパ ( Sandy Denton ) は大の仲良し。 授業が終わるとクィーンズにある百貨店でアルバイト。 いつも一緒に居る2人には大きな共通点がありました。 2人はヒップホップが大好きだったのです。

彼女達のキャリアの始まりは、ある人物のひらめきでした。
当時ソルトが付き合っていたボーイブレンドは、後に有名になるヒップホップ・プロデューサーのハービー・ラブバグ (Hurby Luv Bug Azor)。 そのラブバグの薦めでソルトとペパはラップデュオ Super Nature を結成します。 当時ヒットしていたスリック・リックのヒット曲「 The Show 」のアンサーソング「 The Show Stopper 」をレコーディングします。 この曲がじわじわとラジオでエアプレイされ、ビルボードのR&Bチャートで46位を記録するスマッシュヒットに。

この成功により彼女達はインディーズレーベルと契約。 新たに DJ Pamela Green を加え3人組編成になった彼女達はグループ名を Salt N' Pepa に改名します。 1986年に「 Hot, Cool & Vicious 」でアルバムデビューを飾ります。 収録曲の「 Push It 」のヒットを皮切りに彼女達の人気は全国区に広がり、アルバムは100万枚のセールスを記録。 受賞こそ逃したものの、その年のグラミー賞にもノミネートされました。
2. 歴史的快挙

1988年、DJ Pamala Geen が結婚のためグループを脱退。
新メンバーとして DJ Spinderella が加入します。
その後グループはコンスタントに3枚のアルバムをリリースし、ヒット曲を量産。 なかでも1993年に発表したアルバム「 Very Necessary 」は、これまでのアルバムのセールスをはるかに凌ぐ400万枚の売り上げを記録する大ヒットとなりました。 特にシングルリリースされた「 Whatta Man 」は Hot Rap Single チャート1位を記録。 R&Bグループの En Vogue を大々的にフューチャーしたこの曲は彼女達の代表曲になりました。

そして1994年のグラミーでは、念願の Best Rap Performance を受賞。 彼女達は女性ラップアーティストとして初のグラミー受賞という快挙を成し遂げました。 ヒップホップの歴史に彼女達の名前が刻まれた瞬間でした。
3. 初めての挫折

1997年。 彼女達は大きな転機を迎えます。
デビュー当時からずっと一緒だったプロデューサー兼マネージャーのラブバグと決別し、マネージメントを Red Ant Entertainment に移籍。 新しい環境のもと5thアルバム「 Brand New 」を製作します。 そのアルバムタイトルが示すとおり、心機一転 新たな第一歩を踏み出そうとする彼女達の意欲作でしたが、当時大流行していた Bad Boy Records 路線を中途半端に模倣したかのような曲の数々には、彼女達のこれまで作品に存在したオリジナリティが全く感じられませんでした。 更に移籍先の Red Ant Entertainment が破産し、その影響で充分なプロモーション活動が出来ず、セールス的に大きな失敗作となります。

その後グループは特に目立った活動のないまま休止状態に入ります。
ペパは長年の付き合っていた Naughy By Nature のラッパー、トレッチと1999年に結婚。 娘さんエジプトちゃんを出産します。 しかしながら2人は2001年に離婚を発表。 その翌年2002年には、ソルトが心身の疲労を理由にグループの脱退を決意。 これが引き金となり結成17年目にしてグループは解散してしまいます。
4. それぞれの道、そして再び

グループ解散後、各メンバーはソロ活動を開始します。
ソルトはクリスチャン系ヒップホップアーティストとして活動。 DJスピンデラはソロラッパーとしてサントラに曲を提供しながら、ロサンゼルスのラジオ局KKBTのディスクジョッキーとして活躍。 ペパは女優として活動する傍ら、バライティ番組にも積極的に出演。 VH1の人気番組「 Surreal Life 」のシーズン5に出演し、その飾らない姉御肌の性格がお茶の間でウケて、スピンオフ番組「 Sureal Life Fame Games 」への出演も果たしました。
そして2005年。 VH1主催の大音楽祭「 VH1 Hip Hop Honors 」にて彼女達は再結成を果たします。 En Vougue とともにステージ上で往年のヒット曲 「 Whatta Man 」をパフォーマンスし、拍手喝さいを浴びました。
ここでのパフォーマンスの成功と、ペパのテレビ番組での活躍の煽りを受け、2007年の秋から彼女達の日常生活を追ったリアリティ番組「 Salt N Pepa Show 」の放送がVH1で開始されました。 敬虔なクリスチャンになったソルトと、クレイジーだけど真っ直ぐなペパが 衝突しながらも再デビューに向けて頑張る2人の姿をオモシロおかしく追いかけています。
彼女達の活動再開に合わせて 2007年10月にはベストアルバムがリリースされました。

グループ結成から既に22年。
ラッパー達の若年化が進む今日。
彼女達の再挑戦は始まったばかりです (*´∇`*)





◎ 今日の独り言 ◎
ペパ嬢は そのタフな外見とは裏腹に
「 私、実は予知能力があるの 」と突然言い出して
結局予知した事が全く当たらないという天然ボケな面も (*´∇`*)
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親日家のイケメン白人ラッパー

今から数年前のことでした。
アメリカのコアなヒップホップファン達が集う掲示板で、「これからブレイクしそうな白人ラッパーは誰?」というスレッドを立ち上げてみたところ、予想以上に多くの書き込みが寄せられました。 そこで初めてARROWという名前のラッパーについて知りました。 多くの人が「次のエミネムは彼じゃないか」と書き込んでいたのです。
彼について調べてみると、興味深い事実が分かりました。 卓越したラップスキルの持ち主であることはもちろんのこと、なんと彼は大の日本好きで、毎年訪れているそうです。 親近感を持った私は、彼のMySpaceを通じて連絡を取り合うようになりました。 フレンドリーで気取らないナイスガイでした。
そんな彼の事をもっと多くの人に知ってもらおうと、単独インタビューを申し込んでみたところ、快く引き受けてくれました! アメリカのラッパーの視点から見た日本のヒップホップシーンについてなど、興味深い意見をたくさん聞かせてくれています! 是非是非ご堪能ください (´∇`)ノ

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ラップを始めたのはいつ頃?
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ヒップホップを聞き始めたのは7歳の頃だね。
スヌープドッグとかアイス・キューブ、ハウス・オブ・ペインなんかを聞いてたね。
自分で本格的にライムを書くようになったのは17歳の頃だよ。
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影響を受けたラッパーは誰?
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一番影響を受けたのはキャニバスかな。
とにかく彼のリリックの凄さといったらハンパじゃないからね。
僕が自分でライムを書くようになったのっも彼がきっかけだよ。
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好きなラッパーは誰?
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Mos Def、NAS、ビックL、Chino XL、Royce 5'9、Taib Kweli などなど
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ラップの題材として取り上げているのはどんなこと?
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政治、ヒップホップの現状、僕の身の回りで起きた出来事や、これまでに経験してきたことなんかをラップしてる。 曲によってラップする題材を変えたりもするけど、1つの曲の中で複数のトピックについてラップしたりするのも好きなんだ。
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プロデュースも自分でやるの?
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できないこともないけど、基本的にラップに専念する方が好きだね。
僕はたくさんプロデューサーの知人がいるから、
ビートを作るのは彼らに任せてるよ。
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これまでにどんな作品に関与してきましたか?
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今までに6~7個のミックステープに参加したよ。
なかでも特に有名なのは「Evil Aggression mixtapes 1 & 2」だね。
あと先月日本でリリースされたミックステープにも参加してるんだ。
「Zandre's Avante Garde mixtape」っていうタイトルのやつだよ。


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新しいMixTapeをリリースするそうですが
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そうなんだ。 タイトルは「Questions From The Past」っていうんだ。 たくさんの人に「次のミックステープはいつ出るの?」って聞かれ続けて、「よしそれならやってやろうじゃないか」と意気込んで作った力作なんだ。 僕のこれまでの作品の中での最高傑作だと思っているよ。
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今回の作品はどんなコンセプト?
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タイトルが示すとおり、これまでのヒップホップシーンやアメリカで起こった出来事についてラップしている。 北朝鮮のことや、バージニア大学で起きた銃乱射事件、イラク戦争なんかについても触れていて、このミックテープを聞いた人に何故このような事態を生んでしまったかを問いかけるような作品にしたかったんだ。
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どこで売ってるの?
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僕のマイスペースで発売中だ。
http://www.myspace.com/arrow1
送料込みで6ドルだよ。

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日本の印象について教えてください
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日本は大好きなんだ。
僕のもう一つの故郷のように感じているよ。
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日本のお気に入り場所は?
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東京はかなり詳しくなったよ。
特に渋谷、六本木、新宿あたりがすごい好きだね。
あと横浜や名古屋、京都に訪れたことがあるんだけど、ものすごく綺麗だよね。
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日本のヒップホップについてどう思いますか?
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日本のヒップホップはビートがすごい独創的だよね。
初めて日本のヒップホップを聞いた時は、あまりしっくりこなかったんだ。 何人かのラッパーは、アメリカのアーティストのようになりたがっているように聞こえたし、ポップ要素の強いヒップホップをしている人もいたから。 でもそれからオリジナリティのある日本のラッパーもたくさんいることを知ったんだ。 なかでも僕のお気に入りは、Nitro Microphone Underground、Sphere of influence、ゼブラだね。
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これからの日本のヒップホップに必要なことは何だと思いますか?
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彼らは既に日本独自のヒップホップというのを確立していると思う。
それは素晴らしいことだよ。 何もアメリカのヒップホップのようにある必要はないし、アメリカのヒップホップがヒップホップの全てでは決してないからね。 日本とアメリカのヒップホップは既に同じレベルにあると思っている。 ただし世界的にアピール出来ていると言う点においてはアメリカのそれが一歩上を行っているのかもしれないね。
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最後に日本のファンに何か一言。
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日本の皆さん、コンニチワ!
Klass Sick Entertainmentのみんな、カタギさん、フモさん、Zandreさん、みんな元気かい?

日本のヒップホップシーンについての語っている所なんかはすごく興味深いですね。 また、日本をこんなに好いてくれていると、なんだかすごく嬉しいものです (*´∇`*) インタビューの中でも語っていますが、昨年彼が日本を訪れた際には東京でレコーディングを行い、ミックステープとしてリリースされているそうです。 彼の今後の日本での活動ぶりにも期待したいですね!





◎ 今日の独り言 ◎
前回来日した際に金閣時を見て感動したそうです (*´∇`*)
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前代未聞のラッパーが登場

これまたなんとも珍しい経歴のラッパーが登場しました。
彼の名前はジュース(Deuce)。 なんとアメリカ代表のサッカー選手です。
バスケ選手では シャキール・オニール や コービー・ブライアント、アレン・アイバーソン をはじめとして、ラッパーとして活動しているNBA選手は結構いるのですが、サッカー選手(しかもアメリカ)で、ラッパーというのは今回始めて見ました。

彼の本名はクリント・デンプシー(Clint Dempsey)。 テキサス州出身の24歳。 現在イギリスのプレミアリーグ、フルトンでプレーしている現役バリバリのサッカー選手です。 2006年2月に行われた アメリカ代表 対 日本代表 の親善試合でゴールを決めているので、覚えている人もいるかと思います。 ゴールした後に奇妙なダンスをしていたあの選手です。
メキシコ系移民の父を持つ彼は、幼少期に近所のヒスパニック系の友人達からサッカーを習い、それ以来サッカーの虜に。 テキサス州ダラスにあるサッカーチームのトライアウトに合格し、毎日往復3時間かけて練習に通います。そしてラップを本格的に始めたのは高校生の頃だとか。
「その頃僕が乗っていた車はラジオも何も無くてね。 運転中はずっとアカペラでラップしながら学校に行っていたよ。 一緒に車に乗っていた弟はうんざりしていたけど(笑)」

学生時代はチームのキャプテンとして数々の賞を総なめにした彼は、大学卒業後にメジャーリーグサッカーのチームからドラフトされプロ選手に。 2004年には新人王を獲得。 同年からアメリカ代表のメンバーにも選出され、一躍アメリカ サッカー界のスター選手へと駆け上がります。
そんなある日、彼はテレビの取材で得意のラップを披露します。 そのビデオがNIKEの上層部の手に渡り、デンプシーのラップスキルに興味を持ったNIKE側は、2006年のワールドカップのキャンペーンの主題歌として、デンプシーを起用することを決意。 思わぬ形で彼のラッパーデビューが決まります。 デンプシーはシングル「Don't Tread」をレコーディングし、同郷のラッパー Big Hawk との共演を果たします。
Deuce feat Big Hawk - Don't Tread
「まさかこうして Big Hawk と一緒にレコーディングできるだなんて夢にも思わなかったよ。
彼は僕の地元では伝説のような存在だからさ。」
しかしこのPVの撮影後ほどなくして Big Hawk は射殺され命を落とします。
このPVは Big Hawk の姿を見ることが出来る遺作的な作品になりました。
「信じられなかった・・・ 僕は彼のラップを聞きながら育ったのに。 」

デンプシーは知人のサッカー選手たちに声をかけ、Big Hawkの家族のためにチャリティ試合を開催し、徴収したお金を彼の家族に渡したそうです。
「曲をレコーディングする時、アメリカではマイナーなサッカーというスポーツを少しでも有名にするため、彼は快く僕達に協力してくれた。 残された彼の家族の為に少しでも手助けが出来たらと思ってチャリティ試合を組んだんだ。」
まだまだアメリカではマイナーなサッカーというスポーツ。
少しでも有名にしたいというデンプシーの願いが叶う日はそう遠くないはずです。





◎ 今日の独り言 ◎
何を隠そう私はアメリカサッカーの大ファンです。
次のワールドカップの優勝はアメリカ、という大胆な予想をしています(*´∇`*)
Category: ヒップホップ全般
Irv Gotti が意外なアーティストと契約

Ja Rule や Ashanti が在籍するレーベル、マーダー・インク
このレーベルの経営者 アーブ・ゴッティ(Irv Gotti) が今最も期待を寄せているアーティストがいます。 それはなんとポップ歌手のバネッサ・カールトン (Vanessa Carlton) だとか。
Yeah, Irv Gotti Knows Who Vanessa Carlton Is — He Just Signed Her
バネッサ・カールトンは2002年にUnversal Record からデビューした白人のシンガーソングライター。 彼女を一躍有名にしたのはビルボードチャートで5位を記録したヒット曲「A Thounds Miles」ですが、曲を聞いてもらえれば分かるとおり、ギャングスタ・ラップやR&Bとは無縁の彼女。 全く接点のないマーダー・インクと何故契約することになったのでしょうか??

きっかけは Universal Record の会議室でした。
マーダー・インクが Universal Record とのベンチャービジネスを開始するため、ゴッティは Universal の上層部と打ち合わせをしていました。 ミーティング終了後、ゴッティが部屋から出ると、隣の部屋に知り合いがいるのを見つけます。 今から行うミーティングに少しだけ顔を出してみないかと誘われ、言われるがままに部屋に入ると、そこにはヴァネッサ・カールトンがいました。
ゴッティ 「あれ?どこかでみたことある女だな・・・ 誰だったけ?」

ポップミュージックに興味のないゴッティは、彼女が誰だかわからなかったそうです。
そしてヴァネッサが部屋にあるピアノで歌い始めた時、ゴッティは衝撃を受けます。
ゴッティ 「すげぇ! お前は天才だよ! お前の歌声は最高だよ!」
バネッサの才能に感激したゴッティは興奮して部屋を走り回ったとか(笑)
それからバネッサは自身のヒット曲 「A Thousand Miles」 を披露。
その時に初めてゴッティは彼女が誰なのかに気付きます。
ゴッティ 「この曲知っているぜ! 映画 「White Chicks」 で流れてた曲だ!」
Irv Gotti & Vanessa Carlton - MTV Interview
ゴッティは彼女との契約を切望。 しかし ヴァネッサがギャングスタラップのレーベルと果たして契約してくれるかどうか、最初は不安だったといいます。
ヴァネッサ | 「マーダー・インクがヒップホップのレーベルだというのは知っていたけど、私が思い浮かべていたようなイメージではなく、ゴッティ達はすごく自然に接してくれたし、熱心に誘ってくれたから契約しようと思ったの。 それに私のニックネームは"V"なんだけど、彼がしているネックレスに大きく"V"と書かれていたの。 それは亡くなられた彼のお婆様のニックネームだったのよ。 なんだか運命的なものを感じたわ。」 |
ゴッティのネックレスが決め手となって、2006年10月に正式に契約が成立。
現在は2007年春に発売予定のニューアルバムに向けて準備中だとか。
マーダー・インクが送り出す初のポップシンガー
どうなることやら、チャックせずにいられませんね (*´∇`*)





◎ 今日の独り言 ◎
アーヴ・ゴッティを主役にしたリアリティ番組も もうすぐ始まります
マーダー・インク復活にむけて再出発の年になりそうです (*´∇`*)
Category: ヒップホップ全般
マスターP が社交ダンス

前回のエントリで紹介したアメリカの人気テレビ番組「 Dancing With The Star 」
なんとこの番組にギャングスタラッパーの Master P が出演していました!
「あのマスターPが何故に社交ダンスの番組に?」と疑問に思う人も多いでしょう。 これには特別な理由がありました。 元々は息子のリル・ロミオ君が出演する予定だったのですが、バスケットボールをしている時に足を負傷してしまいます。 すでに番組開始間近だったため、急遽マスターPが息子の代わりに出演する運びとなったのです。

そのような経緯で突然決まったため、他の出場者達に比べて圧倒的に準備時間が少ないというハンデを抱えての出演となりました。 加えてマスターPはダンスが大の苦手と言うハードルも立ちはだかります。
「俺はダンサーじゃないからな。 踊りは下手なんだよ。」

放送第1週目では全出場者10組の中で、誰が見てもダントツで下手なダンスを披露。 さらに社交ダンスなのにも関わらずベースボールキャップにスニーカーというヒップホップな格好で出場したマスターPに対し、審査員達から「もっとちゃんとした格好をしなさい!」とお叱りを受けてしまう始末。 しかしマスターPはそれを鼻から無視します。
「ダンスシューズなんて履いてたまるか。 俺には必要ねえよ。」

あくまでも我を通すマスターP。 そんな四面楚歌な状況にダンスパートナーのアシュリーさんは困り果て「どうすればいいのかわからない・・・」とカメラの前で泣いてしまいます。 辛うじて敗退を免れた2人は翌週のダンス発表に向けて練習会場へ。 そこで2人は衝突します。
マスターP | 「 なんでカメラの前で俺の文句を言ったんだよ? 俺達は仲間じゃないのか? 俺はゲットー出身だけど、仲間を裏切るような事はしなかったぜ 」 |
アシュリー | 「 私はそういう意味で言ったんじゃないの 」 |
マスターP | 「 どうせ俺のこと信用してないんだろ 」 |
アシュリー | 「 あなただって私のこと信用してないじゃない 」 |
お互いの不満をぶつけ合い、よく話し合う2人。
普段は頑固なマスターPですが、アシュリーさんの人柄の良さも手伝って 2人は分かり合います。
「わかったよ。 俺なりに頑張るからさ。 」

アシュリーさんの指導のもと、頑張って練習するマスターP。 但しダンスシューズを履くのは拒否(笑) そんなひたむきな練習の成果もあって、第1週目では12点(30点満点)しか取れなかったマスターPも、第2週では16点を獲得。 しかし周りのレベルはそれ以上に高く、マスターPの得点は出場者の中で最下位でした。

しかしここから奇跡が起こります!
番組を見た視聴者達が「マスターPは頑張ってるじゃないか!みんなで応援しよう!」という動きが起こります。 この番組は会場にいるプロの3人の審査員による得点と、番組視聴者からの電話投票の得点を合わせた結果で順位が決定します。 最下位のペアにはその週で敗退が下される勝ち残り形式。 審査員からの得点は最下位だったマスターPですが、視聴者からものすごい数の電話投票が寄せられ、第2週も勝ち残ります!

マスターPを応援するためのファンサイト(その名もkeep-p-dancing.com)も立ち上げられ、応援Tシャツが売られるなど一種の社会現象にまで発展。 第3週でも審査員からは14点という最低点を突きつけられますが、視聴者からの圧倒的な支援を受け、またしても敗退を免れます。
しかし一部の視聴者からは不満の声も。
「これはダンス番組のはずだ。人気投票番組じゃない。 明らかにマスターPが一番下手なのに、何故彼より上手いペアが敗退しなきゃいけないんだ? 電話投票システムは廃止すべき 」
会場にいる審査員たちもこの意見に賛成のようで、毎回マスターPに厳しい言葉を浴びせます。
「君はもう番組に出てこなくていいよ」
「君のは踊りじゃない。 ショッピングモールで迷子になった子供だよ。」
この意見に対して「あの審査員はマスターPを差別している!」と憤慨するファンも。
マスターPの進退問題を巡って賛否両論が起こります。
Dancing With The Star - Master P & Ashly DelGrosso
「俺の踊りは確かに下手くそだ。 でも頑張って練習している。
これを見ているゲットーの子供達に、やればできるんだと言うところを見せてあげたい。」
世論を巻き込んで挑んだ第4週では、審査員から僅か8点という、番組史上初の一桁台を突きつけられます。 さすがにこれが響いたのか、マスターPはその週で敗退が決定。
こうしてマスターPの挑戦は終わりました。

しかし途中で投げ出さず、最後まで奮闘したマスターPの姿に心打たれた人は多いはずです。
私もこの一連の騒動を通してマスターPが好きになりました。
敗退が決まった時の心境を聞かれたマスターPはこう言いました。
「今回の審査員達の採点は、俺に対する個人的な偏見があったような気がしてならない。 俺のニューアルバムがもうすぐ発売されるんだ。 あの審査員達にこのアルバムを聞いて欲しい。 そして俺がフェアな人間だということを理解してもらいたいね。」
ちゃっかりアルバムの宣伝もしちゃうマスターP。
さすがはレーベル経営者。 この商売上手! (´∇`)





◎ 今日の独り言 ◎
マスターPはしばらく見ないうちに横幅が大きくなりましたね (*´∇`*)