Category: R&B全般
H Townを偲ぶ。Dinoを偲ぶ。

年齢を重ねるごとに時の流れは早くなる。
過ぎ去った時間を振り返るのが多くなったのは年を取った証拠なのか。
17歳の秋。
当時高校3年生だった自分は、今は亡き横浜関内のバージンレコードによく通っていた。
そこで触れる輸入レコードから感じる海外の匂いが大好きだった。
まだ行ったことのない海の向こうにたくさんの憧れを抱いていた。
ある日そのレコード屋でふと手にしたレコードがある。
H-Townのデビューアルバム「Fever For Da Flavor」だ。

当時のダンサーたちの間で流行っていたフランネルのフードを羽織ったその三人組は、アルバムタイトルからも察するように Bell Biv Devoe や GUY のような縦ノリ系のダンスミュージックが得意そうな風貌だった。当時ヒップホップダンスに没頭していた自分は、踊りの練習の時に使える曲があればいいやという軽い気持ちでそのレコードを買って帰ることに。
家に帰ってからレコードに針を落とすと、良い意味で期待を大きく裏切られた。リードボーカルのDinoの粘るような歌唱力と、スローでナスティなバラードが最高にかっこ良かったからだ。
それから数十年の月日が経ち、ふと彼らのことを思い出した。
H-TownのCDをかけると一瞬にして当時の自分にタイムスリップした。
たくさんの夢と希望を抱えていたあのころの自分に。

H-Townは、テキサス州のヒューストン出身の双子兄弟DinoとShazamから結成される。
彼らが録音したデモテープを、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったラップグループ 2 Live Crew のルーサー・キャンベルにそのデモテープを送ったところ、その出来栄えのよさに驚いたルークはすぐにその二人を呼び寄せる。ルークの目の前で即興で歌を披露したところ即契約に至ったという。
その後幼馴染のGIを加えトリオ編成となった彼らは、1993年に前述のデビューアルバムをリリース。アルバムからの1stシングルとなった「Knock'n Da Boots」はビルボードのR&Bチャートで1位を記録する大ヒットに。後に彼らの代表曲として知られることになる名曲だ。アルバムもプラチナムに認定され、当時のR&Bシーンを代表する存在にまで成り上がった。

なによりもDinoの歌唱力が目を引くが、それをトータルプロデュースしたルーサー・キャンベルの策士ぶりにも脱帽してしまう。ルーサーといえばそれまでは卑猥なリリックで数々の物議を醸し出した問題児ラッパーだ。しかしエグゼクティブプロデューサーとしての彼はそのイメージを一新。良質なR&B作品を仕上げるため指揮官として采配を揮った。その作品の完成度は、彼の卓越したトータルプロデュース力を見事に証明して見せた。そんな彼の才能に驚いたのは私だけではないはずだ。

デビューした1993年のSoul Train Awardでは「Best R&B/Soul or Rap New Artist」を受賞。その翌年の1994年には早くも2ndアルバム「Begging After Dark」をリリースし、ゴールドディスクに輝く。安定した人気を手中に収めた彼らだが、3rdアルバム「Ladies Editions」のリリースをめぐって、デビュー以来 共に歩んできたきたルークと決別。このあたりから彼らは徐々に失速し始める。

1998年以降グループの活動は事実上休止状態となる。2000年にメンバーのShazamはインディーズからひっそりとソロアルバムを出すものの、その5年間、H-Townは第一線から姿を消すこととなった。
そして彼らの名前を久しぶりに耳したのは意外なところだった。
2003年1月28日。
Dinoはヒューストンのレコーディングスタジオを出る。ガールフレンドが運転する車に乗りこみ、車道を走っている最中、赤信号を無視したスポーツカーに激突され、Dinoとガールフレンドは即死。追突してきた車には3人が乗車していたが、彼らは全員無事だった。ディノはまだ28歳だった。

Dinoの不慮の事故の翌年、実に7年ぶりとなるH-Townのカムバックアルバム「Imitation of Life」がリリースされた。このアルバムは弟のShazamが主導をとり、Dinoの未発表曲を含む追悼アルバムという位置づけになった。生前、マーティン・ローレンス主演の映画「A Thin Line Between Love & Hate (1996年)」のサウンドトラックで共演したZappのロジャートラウマンもこのアルバムに参加している。

その後、H-Townはどうしているのだろうか。
ShazamとGIはデュオとしてH-Townの活動を継続。2009年にはJODECIと共演し、自分たちの往年のヒット曲「Knock'n Da Boots」をベースにした「Knockin' Your Heels」を発表し、当時のファンたちを喜ばせている。

弟のShazamはインタビューでこう語っている。
「H-Townのニューアルバムは完成したんだ。でも今はレーベル捜しで少し問題があってね。レーベル側はDinoの代わりの新メンバーを入れろって言うんだよ。その条件が飲めなければ契約はしないって。僕からすれば誰もDinoの代わりになんかなれないよ。だからそんな話は受け入れられない。そんな事情があって、H-Townのアルバムより僕のソロアルバムが先にリリースされるかもしれない。そのアルバムの中でH-Townの曲もいくつか入れれられれば良いなと思ってるんだ。」
このインタビューは2008年に行われたものだ。
2012年現在、H-TownのアルバムもShazamのアルバムもリリースされていない。
近年のミュージックシーンでは、ベテランシンガー達の苦闘が続いている。ティーンネイジャーの歌手達が中心のこのご時勢、かつて賑わせた往年のシンガー達は作品のリリースに漕ぎ着けるのがとても難しい現状だ。

人は誰しもが確証のない未来を歩んでいく。
喜びと哀しみを繰り返す毎日の中で、それぞれが生きた証を残そうとしていく。
それが人生なのかもしれない。
Dinoにとって、それは彼の歌 そして H-Townそのものだったのだろう。
彼のH-Townは、残されたメンバーたちの手によって今も続いている。
そしてDinoのことを知らない若い子たちが、彼らの曲にインスパイアされる日が来るのかもしれない。
自分がかつてH-Townのレコードを手にしたあの日のように。

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◎今日のひとこと◎
超久しぶりにエントリを書いてみましたっ!(・∀・)ノ
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Category: R&B全般
T-Bozの家に居候しながら再起を図るあの人達

女性R&Bトリオ Blaque を覚えていますか?
TLCの故レフトアイにより発掘された彼女達は、ラッパー1人・シンガー2人という構成から「 次世代向けTLC 」とも呼ばれ脚光を浴びました。 1999年にリリースされた彼女達のデビューアルバムからは、名曲 「 Bring It To Me 」 などのヒットを生み出し、ポストTLCへの道を順調に歩み出したかと思われました。
Blaque - Bring It To Me (TV Show)
しかしその後、彼女達を待ち受けていたのは茨の道でした。
2001年に製作された2ndアルバム「 Blaque Out 」はリリースを見送られ、所属していたコロンビアレコードとの契約も解除されます。 エレクトラレコードへの移籍を実現するも、ホンジュラスでの悲劇的な交通事故によりグループの指導者であるレフトアイを失ってしまいます。 ロドニー・ジャーキンスとミッシー・エリオット達の助力を受け製作したアルバム「 Torch 」は、2004年にリリース予定だったのにも関わらず、またしてもお蔵行きとなってしまいます・・・

メンバーの Natina Reed は、 Dogg Pound のクラプトとの婚約、出産を機にグループ脱退を決意。 かつて Anomisity というグループで活動していたラッパー兼シンガーの Erica Pullins を新メンバーとして迎え入れ、彼女を加えた新体制による既存曲の再レコーディングと、それに新曲を加えたアルバムの再リリースを試みます。

しかしならがら新生Blaque もアルバムリリースには至らず、グループは解散を発表。
その後各メンバーはソロ活動を開始。 Natina Reedはクラプトと離婚し、牧師(!)としての道を歩きはじめます。 Brandi Williams は Nelly のアルバムに参加。 Erica Pullins は Destiny Child のミッシェル・ウィリアムスのアルバムに参加。 Shamari Fears はロドニー・ジャーキンスの Darkchild Records と契約。 BBDのアルバムに参加し、ロニー・デヴォーと結婚します。 しかし皮肉なことにソロアーティストとしてもアルバムリリースを実現できるメンバーは1人もいませんでした。

そして2007年11月。
彼女達が再結成したとのニュースが報道されました。
BrownSista.com - Blaque Together Again
このニュースによると、Erica Pullins を除く Blaqueのオリジナルメンバー3人は、現在グループのカムバックに向けて準備中であり、その一部始終をカメラで追ったテレビ番組「 Blaque By Pop Demand 」の撮影を予定しているとのこと。 そして、彼女達の再結成に向けて尽力しているのが TLC の T-Boz。 Blaque の3人は T-Boz の家で同居しながら、9年ぶりとなるアルバムリリースを目論んでいる模様です。 更に番組にはロニー・デヴォーやクラプト、ダ・ブラットのゲスト出演も噂されています。

正直この手のリアリティ番組は、アメリカでは既に飽和状態にあり、果たして番組放送までこぎつけられるかが今後の鍵になると思います。 番組放送がなければ必然的にアルバムリリースにも至らないはずです。 とはいえ彼女達の実力は確かなものだし、是非ともこのカムバックを実現させて、ガールズグループの人気復興に一役買って欲しいなと思っています。





◎ 今日の独り言 ◎
私個人的に Natina Reed のラップフロウは、現存する女性ラッパーの中で
チャーリー・バルティモアに次いで大好きです ヽ(*∀* )ノ
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元 Boyz II Men のあの人は今?

説明不要のスーパーグループ Boyz II Men
1990年のデビュー以来、数々のヒット曲を生み出してきた彼らですが、2004年以降は活動の場をメジャーからインディに変え、現在は3人組として活動中です。 グループを脱退した マイケル・マッケリー(Michael McCary)はその後どうしているのでしょうか?
マイケルが脱退したのは2003年6月。 以前から悩まされていた腰痛が悪化し、これ以上ツアーを続けるのが困難になったことが一番の理由だと言われています。 グループ在籍時の後半は、ステージ上でマイケルだけが椅子に座り、他のメンバー3人が踊りながら歌うという形でパフォーマンスする事も多々あったそうです。

英語版ウィキペディアによると、それ以外にも 「 個人的な問題のための脱退 」と記載されており、それが具体的に何を意味しているのかは残念ながら不明です。 そもそもBoyz II Menはマイケル・ビブンスにより発掘され そのキャリアをスタートしましたが、マイケル・マッケリーはビブンスと出会う直前まで大学進学を予定していました。 グループとして成功後もインタビューの中で 「 いつかは大学で勉強したいと思っている。 何か他の事を始めたいという気持ちは今でも持っている 」 とコメントしていました。 もしかすると、かなり以前から彼の中で「引退後の第二の人生」は既に描かれていたのかもしれません。

彼のファンが立ち上げたと思われる Myspace によると、マイケルは現在 「 9th Street Music 」 という音楽レーベル及び 「 Innovative Technologies Group 」という科学技術会社(?)の経営に携わっているようです。 またIMdbによると 昨年はテレビの人気クイズ番組「 Identiy 」へ出演。 さらに「Beyond the Pretty Door」、「The Mannsfield 12」というタイトルの映画に2本出演するなど、メディアへの露出も増えてきました。
関連作品は少ないですが、彼は音楽プロデューサーとしての能力にも長けている人物で、1997年には Uncle Sam と Voices Of Theory という良質なアーティストを手掛けています。

Uncle Sam は当時の Boyz II Men のツアーでオープニングアクトを務めていました。 思い切り Boyz II Men チックな曲調が印象的な1stシングル 「 I Don't Ever Wanna See You Again 」では、 マイケルお得意の語り声も聞くことが出来ます。

Boyz II Menと同郷フィラデルフィア出身の5人のラティーノ達で結成された Voices Of Theory は、Boyz II Menの影響を色濃く受けた洗練された歌唱力を持ち合わせたグループで、「 ラティーノ版 Boyz II Men 」 とも呼ばました。。 マイケルは彼らのデビューアルバムにプロデューサー、アレンジャー、バックボーカルと全面的に関与。 惜しくも彼らはこのアルバムだけで姿を消すことになりますが、 「 Say It 」という素晴らしい曲を残しています。
この2組以降は、マイケルの音楽活動に目立った動きはありませんが、今後の彼のプロデュース作品にも是非期待したいです。 一方の Boyz II Men は 昨年末に Motown のカバーアルバムをリリースしたばかり。 スティービー・ワンダーやマービン・ゲイなどの往年のヒット曲を存分に披露しています。

Boyz II Men が結成されたのが1988年ですから、今年で結成20年になるわです。 新人アクトが出ては消えていく出入りの激しい音楽業界で、こんなにも長く活動を続けている彼らは改めてスゴイなぁと感じました (*´∇`*)





◎ 今日の独り言 ◎
Boyz II Men とほぼ同時期にデビューして何かと比較されていたJODECI。
前フリだけで一向に実現しない彼らのの再結成は一体いかに??( ̄∇ ̄|||)
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Katinas - サモアの風に吹かれて

Katinas のことを知ったのは、YouTubeで見つけた彼らのアカペラ映像を見てからだ。
どこか温かみのある彼らの綺麗なハーモニーは本当に素晴らしかった。
何度もビデオを見直した。 それはまさに一目惚れだった。
Katinas - One More Time
5人兄弟から成る彼らは、かなり珍しい経歴の持ち主だ。
出身は南太平洋に位置するサモア島。 8人兄弟、4人姉妹という大家族のもとに生まれた。 彼らの父親はベトナム戦争の帰還兵で、多くの帰還兵達がそうだったように、彼らの父親も戦争時に経験した恐怖体験が原因で、その後PTSDと呼ばれる精神ストレス障害に悩まされ続けた。 そんな父親を救ったのは地元の教会だった。 サモア島の住民は敬虔なクリスチャンで、ほぼ100%がキリスト教を信仰しているという。 教会に通うことによって父親の心は洗われ、父親は家族全員と教会に通うようになった。 子供達はそこで歌い始め、Katinas はそこで生まれたのだ。

1988年。
彼らはアメリカのワシントン州に移住し、本格的に音楽活動を開始。 当初は Katina Boyz という名前のもと、1991年にインディーズからデビュー。 R.Kelly や DC Talk、エイミー・グランド などの前座も務めた。 その後グループ名を The Katinas に改名し、1999年に再デビュー。 これまでに10枚以上のアルバムをリリースしている長寿グループだ。




個人的にちょっと残念なのは、彼らのアルバムにR&B的要素が希薄であるという点だ。 曲の雰囲気はPOP~ソフトロック路線の曲を中心に構成されており、ライブではメンバー自らが楽器を演奏するバンド形式でパフォーマンスしているようだ。 あれほどのアカペラ能力を持ちながら 少々もったいなぁ、とつい思ってしまうのだが、おそらく彼らが進みたい方向性はその路線なのだろう。 とはいえあくまでも彼らのバックボーンはクリスチャン・ミュージックにあることに変わりない。

「 サモア島はハワイから2000マイルも離れた所にある島だから、僕達が住んでいた頃はアメリカのレコードとかがあまり手に入らなかった。 そんな時 アメリカ本土に住んでいる親戚がエイミー・グランドのカセットテープをよく送ってくれたんたんだ。 そうして僕達はクリスチャン・ミュージックを聴いて育ち、その素晴らしさを知ったんだ。 」
多くの人にクリスチャンミュージックを聞いてもらいたいという想いのもと、
彼らは今日も各地を廻り、パフォーマンスを続けているのだ。





◎ 今日の独り言 ◎
KONISHIKI や ブーヤ・トライブもサモア系アメリカ人です。
最近映画俳優としても活躍しているプロレスラーのThe Rockもそうですね (*´∇`*)
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Legaci - 新しい伝説の始まり

LEGACI
彼らの名前を初めて聞いたのは今から1年前のことだった。
ネット上でたまたま見つけた彼らの曲 「 Girl If You Say 」を聞いて、その重厚なコーラスにえらく驚いたのを覚えている。 「 Jodeciみたいなグループが現れたなぁ 」 と思わずワクワクした。 そしてそれを歌っているのがアジア系アメリカ人だと聞いて更にビックリ。 てっきり黒人グループだと思い込んでいたのだ。 それほど彼らの歌唱力はあまりにソウルフルだったからだ。
Legaci - Girl If You Say (Album Version)
私は大きな間違えをしていた事に気付いた。
K-Ciやアーロン・ホールのような野太い声で歌うのはアジア人には無理だろうと勝手に思い込んでいたからだ。 その考えが間違いだったと気付かされた時、なんだかとても嬉しかった。 その日以来、彼らのことを調べ始めた。 メンバーの名前、彼らのバックグラウンド、グループ結成までの経緯・・・ 決して多くはない限られた情報をかき集めるにつれて、期待はどんどん膨らんでいった。
彼らならできるかもしれない。
これまで多くのアジア人アーティスト達が越えることの出来なかったあの高い壁を。
1. 伝説の始まり

1997年12月。
サンフランシスコのベイエリアに居を構える小さなマネージメント会社 Point Blank Entertaiment を経営するマイク・ヴェルネスは、才能ある2人のR&Bシンガーを発掘する。 マイカとジェイミル。 ともにフィリピン系アメリカ人だ。 彼らの力強い歌声に可能性を感じたマイク・ヴェルネスは彼らのマネージャーになることを決意。 手始めとして地元ラジオ局WILD 94.9 の番組 「 The Doghouse 」 へ出演させることにした。
初仕事となる番組出演を直前に控えた彼らに、ラジオ局のスタッフからこう聞かれる。 「 君達のグループ名は? 」 ・・・しまった。 練習に気をとられてグループ名を決めていなかったのだ。 スタッフからはグループ名がないと進行上困ると言われている。 早急にグループ名をひねり出そうとするが、いざ考え始めるとなかなか出てこない。 そんな時マネージャーのマイク・ヴェルネスがそっと口を開いた。
「 ”LEGACI” っていうのはどう? 伝説を作るという想いを込めて。 」
彼らの長い道のりの始まりだった。
2. 託された想い
結婚式場やパーティー会場などでパフォーマンスしながら地道な活動を続けるLEGACI
しかしそんな彼らにつらい別れがやってくる。
1999年。
グループのマネージャー、マイク・ヴェルネスが他界してしまう。
グループ結成当初から尽力してくれた恩師を失い、悲しみに暮れるマイカとジェイミル。
行き先を見失った2人を救ったのは、マイク・ヴェルネスが最後に彼らに残した言葉だった。
「 どんなことがあっても絶対に諦めるな。
努力を続ければ、お前達の夢はかならず実現する。」
マイカとジェイミルはグループの続行を決意。
まだ見ぬ夢の実現を目指して、彼らは再びマイクを握るのだった。
3. 夢への第一歩

彼らの活動がようやく軌道にのりはじめた。
地元ベイエリアでのインディーレーベル Kamikaze Records を経営する日系アメリカ人カーティス加藤氏に実力を認められレーベルと契約。 メンバーは何人かの出入りを繰り返しながら、最終的にマイカ、ジェイミル、クリス、ルーカスの4人組編成で固定される。
2001年。
グループとして1stシングルとなる 「 Make Sweet Love 」 をレコーディング。 この曲をひっさげて参加した地元ラジオ局主催のイベント 「 107.9 KDND's Band Serch 」では見事優勝を果たす。 優勝記念ライブには1000人ものファンが押しかけた。 その反響に押されるような形で製作されたPVは、音楽雑誌 VideoMaker Magazine で2002年のベストビデオ賞を獲得。 さらには3LWやLFO、BBMACKなどの前座を務めるなどして、着実にキャリアを築いていく。
2003年。
音楽コンテスト 「 CALLATT’s Battle Of The Bands Competition 」に参戦。 全米から1800組ものミュージシャン達が参加した熾烈な予選を勝ち抜き、LEGACI は決勝へ進出。 見事3位に入賞した。

そして2004年。
ついに念願のデビューアルバムをリリース。 「Little Black Book」 と名づけられたこのアルバムには、著名なプロデューサーや客演アーティストなどは一切なく、プロデュースもほぼ全曲彼ら自身が手掛けた意欲作である。 目玉はなんといっても前述のパワーバラード 「 Girl If You Say 」 につきる。 それ以外の曲も粒揃い。 欲を言えばどれも似通った曲が多いのが少し残念か。
驚くべきはこのアルバムの流通枚数の多さだろう。 これまでのアジア系R&Bアーティスト達の大半は、ここ日本でのCDの入手が難しかった。 しかしLEGACIのこのアルバムはインディーズからのリリースながら、HMVやAmazonといった大手CD販売店でも容易に入手可能である。 アジア系R&B界の先駆者と呼ばれている KAI 以来の快挙と言えるであろう。
4. 新しいスタート

2007年。
メンバーのルーカスが結婚を機にグループを脱退。
ちょうどその頃、同じベイエリアのR&Bグループ、Next Phaze が解散を発表。 Next Phaze もまた、メンバー全員がフィリピン系アメリカンで構成されたR&Bグループだ。 しかし黄色人種である彼らがR&Bを歌うことに対して、世間の風当たりは厳しかった。 目には見えない人種の壁にぶちあたり、彼らは志半ばにしての無念の終焉を迎えたのだ。
Next Phaze のメンバーだったデルは、グループ解散後もミュージシャンとしての夢を未だ諦められずにいた。 新しいグループを結成し、再挑戦することを決意。 早速メンバー捜しを始める。 ある日デルは従兄弟であるLEGACIのマイカに電話を入れる。 もし誰か良い人材を知っていたら紹介してくれと相談したのだ。 しかしマイカから発せられた言葉は予想外のものだった。
「 俺達と一緒にやらないか 」
デルを加えた新生LEGACIが誕生した。
彼らは早速レコーディングに取り掛かる。

古巣 Kamikaze Recordsを離れ、自分達だけの手でEP 「 Sessions 」を製作。 インターネット限定でリリースする。 この作品では彼らが敬愛するBoyz II Men の 「 Song For Mama 」や、Keith Martin の隠れた名曲 「 Never Find Someone Like You 」 のカバーにも挑戦。 グループとして新たな広がりを見せた。
LEGACIは今、このEPのプロモーションの為、各地でライブ活動中。
このEPをきっかけに、新しいレーベルとの契約につながればと期待しているようだ。
Legaci - Lately
グループ結成から今年で11年。
彼らの目標はあくまでもメジャーレコードとの契約だと言う。
マイカはデビューアルバムのライナーノーツでこう綴っている。
「僕達の恩師マイク・ヴェルネスへ
あなたは今雲の上にいるのかもしれない。
でもあなたと交わしたあの約束は、今も僕達の心の中にいます。
このCDは僕達の夢への第一歩です 」
恩師と交わした約束を果たすため、彼らは今日も走り続ける。
LEGACIは決して諦めない。 夢を実現するその日まで。






◎ 今日の独り言 ◎
メンバー全員がそれぞれがリードを取れる彼らですが、
やはり注目はなんと言ってもマイカ君の爆発的ボーカルです(*´∇`*)
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大晦日だよ! アカペラ歌合戦!





年末恒例企画 「 アカペラ歌合戦 」 を開催します!
選び抜いたスゴ腕のR&Bシンガー達を5組ノミネートしました。 候補者達の熱唱アカペラをご堪能頂き、一番上手いと思ったアーティスト名をコメント欄にご記入ください。 投票数が一番多かったアーティストについて、2008年最初のエントリで特集したいと思います。 どのビデオも30秒程度の長さなのでサクサク見れると思います。
(1) Legaci - Love U 4 Life
Jodeci のヒット曲を、見事なまでに歌いこなしている彼らは、サンフランシスコを拠点に活動する4人組。 驚くことなかれ、彼らは皆アジア系アメリカ人なのだ。 エイジアンらしからぬ強力なボーカルを有する彼らは、アジア系コミュニティ内だけでなく今後はクロスオーバーな活躍も期待される、今最もホットなR&Bグループだ。
(2) Katinas - One More Time
サモア出身の5人兄弟。
兄弟ならではの息の合った重厚なコーラスは何度聞いても耳に心地良い。
クリスチャン・コンテンポラリー界では既に15年以上のキャリアを誇る重鎮。
清涼感溢れる爽やかな作風は彼らがもっとも得意としているまさに「お家芸」だ。
(3) NSYNC - More Than A Feeling
今や白人R&Bシンガーとしての地位を確固たるものにしたジャスティン・ティンバーレイク。 かつて彼はアイドルグループ、インシンクの一員でした。 これはインシンクがTV番組に出演した時の映像。 ロックグループ Boston のヒット曲を大胆にアレンジしている。
(4) Boyz II Men - Yesterday
1994年にリリースされた彼らのアルバム「 II 」に収録されているビートルズのカバー。 当時はネクタイにブレザーというのが彼らのトレードマークでした。 メンバーのマイケルが脱退後は めっきり失速した感のある彼らだが、90年代のボーカルグループの火付け役だった彼らだけに、今後の巻き返しに期待したい。
(5) Next Phaze - When I Dream About You
今年惜しまれながらも解散してしまったR&Bグループ。 メンバーは皆フィリピン系アメリカ人。 教会の聖歌隊で鍛えたという彼らのボーカルは、時に荒削りながらも、その独特なR&Bアプローチはとても新鮮でした。 グループ解散後、一部のメンバーはシンガーとして現在も活動中です。 (ちなみにこの曲、誰の歌なのかご存知の方いらっしゃいましたら教えてください~)
いかがでしたか? 中には名前がまだあまり知れ渡っていないアーティスト達もいますが、その実力は確か。 改めてアメリカの層の厚さを感じました。 しかしここ最近はアカペラで人を魅了できるような実力派シンガーがあまり出てこないので、個人的にちょっと寂しいです。 単に「披露しない」だけなのか、「披露できない」のか が気になるところですが・・・
ちなみに昨年行われたアカペラ歌合戦では
Ju-Taun と Backstreet Boys が同時優勝を果たしています。
果たして今年は誰が優勝するでしょうか?
どなたもお気軽に書き込みしてください (´∇`)ノ
さて、2008年も もう目の前ですね。
今年も多くの方々に支えられて、無事ブログを続けることが出来ました。
本当にありがとうございました。
来年も皆さんにとって素敵な年であります様に・・・ (*´∇`*)





◎ 今日の独り言 ◎
何気に正月太りが怖いです。 ジムもずっと休みなもので・・・ (+Д+)
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あのインディーグループが活動再開

以前ご紹介したR&Bグループ、Ju-Taun (ジャータウン)
2005年に発表した彼らのアルバム「 How Bad U Want It 」は、インディーズからのリリースながら、全編ディープな歌声で溢れ、まだ荒削りな部分も見えましたが、そのサグなイメージも含め、マニアの間ではかなりの評判でした。 その後彼らはどうしているのでしょうか?

なんとメンバーの1人、B-LUV君が脱退してしまいました。 グループの中で一番の老け顔だった彼です。 しかしグループは活動を継続し、この度ニューシングル「 Go Slow 」のPVが公開されました。 激甘のバラードをリードシンガーの J-Nyce 君が驚愕のフォルセットで歌い上げています! 現在世に出ている多くの「今風」なR&Bグループとは明らかに違う、クラシックなソウルマナーに基づいた彼ら独自のスタイルを見事に引き出した名作です。
Ju-Taun - Go Slow
PVの冒頭に出てくるとおり、R&B界に新たなセンセーションを起こしてくれそうな、そんな予感がします。 PVの最後に Mike Taylor 監督作品 というクレジットが確認できますが、これはおそらく スヌープやDMX、Boyz N DA Hood ら有名どころのPVを数多く手掛けている監督と同一人物かと思われます。 ということは、この Ju-Taun のメジャーデビューもそう遠くないのかなと、思わず期待してしまいます。

但し以前あった彼らのオフィシャルサイトは閉鎖され、所属するレーベル Climax Entertainment のサイトも工事中のまま長期間放置状態です。
唯一彼らの Official Myspace は存在しますが、尋常じゃないくらい重いです。
私のPCでは何度トライしても画面が表示できないという有様。
いろんな意味で不安を感じますな・・・(+Д+)





◎ 今日の独り言 ◎
アジア系サグなお顔立ちのSamoeun君は
MySpaceでちょくちょくお返事をくれたりするナイスガイですぞ ( ^ ∇ ^ )
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メジャーデビューを賭けて最後の勝負

「 白人版B2K 」との呼び声が高いNLT
そんな彼らが今 正念場に立たされています。
当初の予定では今年の6月に Geffen Records よりアルバムデビューする予定だったのですが、先攻シングル「 That Girl 」の売り上げが芳しくなく、アルバム発売は延期されてしました。 今月セカンドシングルとなる「 She Said, I Said 」のPVが公開され、itune にてデジタルリリースされました。 おそらくこのシングルの結果により今後の彼らの進退が決まると思われます。
この曲のプロデュースはティンバーランド。 オマリオンの「 Ice Box 」に ジャスティン・ティンバーレイクの「 Cry Me River 」を合わせたような、ロービートが印象的なバラードです。 とにかく楽曲の出来はすこぶる良い。 そのままジャスティンのアルバムに入っていても何ら違和感ないような Pop~R&B テイストの溢れる良作に仕上がっています。
NLT - She Said, I Said
このPVの監督も務めたクリス・ストークスは、NLTの発掘者であり、彼らのマネージャーでもあります。 彼が運営するレーベル TUG は、B2K解散後 その後釜としてこの NLT に白羽の矢を立てました。 しかしその期待に答えられるかどうかは、メジャーのデビューというのが必須条件になってきます。 過去のTUG所属アーティスを振り返ってみてもインディーズからアルバムリリースしたアーティストはいません。 当初メジャー契約を持っていたアーティスト達も、メジャーからアルバムリリースが見送られた時点で TUG からも契約を切られています。 (過去の該当例として TG4、Dame Four、Jhene、Karma など数知れず) いうなれば彼らが Geffen Records からのアルバムデビューを実現できなければ、同時に TUG からも姿を消すことになるでしょう。

さすがクリス・ストークスが認めただけあってNLTの歌唱力・ダンスの実力はなかなかのものです。 しかし一番の問題はそのルックスからくる軟弱なイメージでしょうか。 アメリカでは既に BoyBand ブームは過去の遺物として捉えられています。 かつての飽和状態が裏目に出て、今日のマーケットではこの手のアーティスト達に対する風当たりは強く、かつてのような成功を収めるには非常に厳しい環境にあります。 このNLTにとっても、そんな偏見の壁が彼らの今後を阻む大きなハードルになることでしょう。
グループ発足から5年。 彼らは今大きなターニングポイントを迎えています。 デビューの夢を果たせず無念にも消えていった数多くのアクト達の一つとなるのか。 それとも B2K のような旋風を起こせるのか。 その答えはもう目の前まで迫ってきています。





◎ 今日の独り言 ◎
PVに出ているヒロイン役の女性は新鋭女優の Jannel Parrish です
彼女の主演映画「 Bratz 」のサントラにNLTが参加した縁でこのPVにも出演しています
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ある ひと夏の挑戦

「 America's Got Talent 」を覚えていますか?
2006年6月にアメリカで放送され驚異的な視聴率を叩き出したNBCのオーディション番組です。 シーズン1では天才少女シンガー、ビアンカ・ライアンちゃんが優勝し、メジャーレコードからCDデビューを果たす形で幕を閉じました。 あれから1年。 番組は新たにリニューアルしシーズン2として帰ってきました!
シーズン1で審査員として出演していたR&Bシンガーの Brandy は、残念ながらシーズン2では降板しています。 これは彼女が昨年起してしまった交通事故の影響だと思われます。 その Brandy に代わり出演しているのはシャロン・オズボーン。 言わずと知れたオジー・オズボーンの奥様です。 かなりマイペースで天然な彼女だけに、番組に新しい風を吹かせています。

さて番組内容のほうですが、前回と同じくパフォーマンスのジャンル、参加者の年齢、人数は問わず、才能あるエンターテイナーを発掘するという主旨のもと、全米4大都市で大規模なオーディションが開催されました。 この第1次オーディションを通過した70組がラスベガスで行われる第2次&第3次オーディションに挑みます。 そして最終的に決勝ラウンドに進出できるのは僅か20組のみ。 決勝ラウンドは生放送でパフォーマンスを披露し、視聴者の電話投票により優勝者が選ばれるという仕組み。 栄えある優勝者には優勝賞金100万ドルが贈呈されます。

オーディションにはシンガーやラッパー、ダンサーに、コメディアン、マジシャンなど多種に及ぶパフォーマーたちが参加しました。 全般的に白人の出場者が多いためか、ロックやカントリーといったジャンルのシンガーが多く、ヒップホップやR&B系の参加者は少なめです。 加えて審査員の3人がみんなブラックミュージックとはあまり縁のなさそうな人達ばかりなので、この審査員達から合格判定をもらうのは容易なことではなさそうです。
そんな中、ニューヨークで行われたオーディションでとても印象的な場面がありました。
登場したのは Odysy ( = オデッシ ) という名前のR&Bグループ。

ジェシー、クリス、イライジャ、レイボンからなるこの四人組は、それぞれが白人、黒人、ラティーノ、ジャマイカンという異なるバックグラウンドを持つ人種混合グループ。 結成してわずか1年という彼らは、この日のために全財産をはたいてフィラデルフィアからニューヨークまでやってきました。
「 これは僕達にとって人生最大のチャンス。
僕達の実力をアメリカに証明するためにここに来たんだ。 」
そう語る彼らは メアリー・J・ブライジの大ヒット曲 「 Real Love 」をステージで披露しました。
America's Got Talent - Odysy
「 Get Down! 」という粋のいい掛け声とともに始まった彼らのパフォーマンス。 ボーカルワークは荒削りながら、ステージ中 所狭しと駆け回りながら会場を盛り上げます。 途中ヒューマンビートボックスとラップも交えつつ、最後は観客の手拍子に合わせて綺麗なハーモニーで締めくくり。 会場は歓声で包まれます。

ところが、審査員の口からは次々と厳しい言葉を発せられます。 まず辛口イギリス人モーガン氏は 「 君達の歌唱力はたいしたことないね。 」とバッサリ。 この意見に対して会場からは激しいブーイングが飛び交います。 続いてシャロンさんも 「 私も同感だわ。 あなた達は誰がリードボーカルなのか分からないもの。 グループの軸になるようなボーカルが欠けているわ。 ハーモニーは悪くないんだけど・・」 とまたも否定コメント。 審査員の中で唯一デビット氏だけが 「 確かにリードボーカルはいないけど、彼らのコーラスとラップに観客は沸いていたし、良かったと思うよ。 」 と優しい言葉をかけてあげます。
そしていよいよ彼らの合格発表の時がやってきます。 3人の審査員かがそれぞれ順番に合格か不合格かを言い、最終的に多数決で彼らの合否が決められる仕組みです。
まずはデビット氏から。
「 合格だよ 」

続いてモーガン氏。
「 君達はまだ実力不足だ。 不合格!」

最終的に彼らの進退はシャロンさんの1票で決められることに。
「 うーん・・・ とても言いにくいんだけど・・・
あなた達が次のラウンドに進むだけの実力があるのかどうか、私には分からないの・・・ 」

ここでOdysyのメンバー達が懇願します
「僕達の実力はまだまだこんなものじゃないです。 どうかチャンスをください。」
返答に困るシャロンさん。
会場からは「合格させてやれよ!」と応援の声が挙がります。
そして言いにくそうに口を開くシャロンさん。
「あなた達には悪いんだけど、正直な意見を言わなきゃいけないの・・・・」
今にも泣き出しそうなメンバー達。

そしてシャロンさんはこう言います。
「合格よ!」
飛び跳ねて喜ぶメンバー達!
会場からは割れんばかりの拍手で彼らの合格を称えました。
「今までいろんなことがあったけど、今日こうして結果が出せて良かった」
と歓喜する彼ら。 私もこのシーンを見て思わず涙してしまいました。
いやぁ、合格できて本当に良かった (*´∇`*)

Odysy Official Site
http://odysy.net/





◎ 今日の独り言 ◎
若いって良いですね・・・ ( ´ー`)
Category: R&B全般
人気プロデューサーが激ヤセ

グラミー受賞プロデューサー、ロドニー・ジャーキンス(Rodney Jerkins)
これまでに Brandyの「The Boy Is Mine」や Destiny's Child の「Say My Name」をはじめ、数々のヒット曲を量産してきた彼ですが、その風貌はかなりの肥満体型。 しかし彼の近影を見てビックリしました! まるで別人のようにスリムになっています!

そのあまりの激変ぶりに巷では「胃を小さくする手術をうけたのでは?」という噂が飛び交う始末。 彼が取り組んでいるダイエット方法についてインタビューで明らかにしています。
MaleFirst.co.uk - Rodeny Jerkins Moving Weight
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痩せるために手術を受けたという噂は本当ですか?
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いいや。
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どうやって痩せたんですか?
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生活のスタイルを変えたんだ。 朝5時頃までスタジオにこもってレコーディングをするような生活だから、真夜中にジャンクフードとかよく食べていたんだ。 だってそんな時間に開いているお店といったら それくらいしかないからね。 そこでまず改善したのが食生活。 そしてなんといっても運動だね。 毎朝起きてからウォーキングマシンやバイクマシンに乗って、とにかく運動するように心がけてるよ。
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続けるための秘訣は?
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まめにノートを取ること。 そして目標を定めること。
僕はまず1ヶ月後の目標体重を決めるんだ。 それから その日食べたものと その日の体重を毎日ノートに記録する。 そしてもし その月の目標を達成できなかったら、もう一度ノートを読み返して 何が原因だったのかを分析するんだ。
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痩せたことによって心境の変化もあったとか
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そうなんだよ。 まるで別人になったような気分さ。
でもこれからもっと良くなるように頑張るよ。
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音楽のほうにも影響はありましたか?
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そうだね。 とにかく健康になったことで精神的にとても良い状態にあるから、僕が作る音楽にも良い影響を与えているよ。 これまで以上に仕事に集中できるようにもなったから、よりクリエイティブになったね。
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ダイエットに挑戦中の人に何かアドバイスを。
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食事する量をコントロールすることがまず大切だ。
一日三回たくさん食べるよりも、一日五回少しずつ食べる方がより効果的だ。 あと糖分はできるだけ摂らない様に。 ダイエットは肉体的と言うよりも精神的な戦いみたいなものだから 「 自分は出来るんだ 」 と言い聞かせて頑張って欲しい。
なるほど、痩せると自分に自信が付き、仕事やその他の面でもいい影響を及ぼすっていうのは興味深い意見ですね。 仕事も好調なロドニーは、2006年にDefJamアイランドのA&Rに就任し、自身のレーベル DarkChild Record とのジョイントベンチャー契約を結び、更なる飛躍を遂げようとしています。
ちなみに同じく人気プロデューサーのティンバーランドもダイエットに成功していますが、彼は専属のトレーナーと料理長を雇っているそうで、そのことについて意見を求められたロドニーは 「 俺には専属のトレーナーは必要ない。 いろんなタイプの人間がいると思うけど、俺は人に言われてやるのではなく、自分自身の力で実行したいタイプなんだよ 」 と、ちょっとディスってました(笑)





◎ 今日の独り言 ◎
その一方でバスタ・ライムスの巨大化現象が気になるのですが・・・(・ε・ )