Category: ファザーMC
Father MC

「Daddy」
「Father」
どちらも父を意味する単語です。
「Puff Daddy」
「Father MC」
駆け出しの頃のパフ・ダディが、最初に手掛けたのがこの Father MC だと言われています。 パフィの大躍進ぶりは周知の事実ですが、ファザーMCはその後どうしたのでしょうか? 今日はそんな Father MC が歩んだ軌跡について振り返ってみましょう。
1. パフィの下済み時代

「昔はアンドレの車を洗車したり、コピーをとったり、雑用ばかりさせられたよ」
これ、彼のインタビューでよく出てくるフレーズです。
ニューヨークにある名門ハワード大学でビジネスを専攻していたパフィは、音楽業界入りを夢見ていました。 そしてアンドレ・ハレル(Andre Harrell)率いるアップタウンレコード(Uptown Record)にインターンとして無給で働き始めます。 アンドレの家に下宿しながら、レコード会社で働き、大学にも通うという、ハードな日々を送ります。
雑用期間を経て、彼はめきめきと才覚を発揮していきます。
2. パフィとの出会い
一方のファザーMCこと本名ティモシー・ブラウン(Timothy Brown)は、
元々ダンスホール系のミュージシャンとしてキャリアをスタートさせます。
当時のラップシーンは、大きく分けて3つに分類されていました。
NWAに代表されるギャングスタラップ。 パブリック・エネミー(Public Enemy)のような社会派ラップ。 そしてMCハマー(MC Hammer)のようなパーティーラップ。 そんななか、数は少ないけれども LL Cool J の 「I Need Lov 」や、Slick Lick の 「Teenage Love」のように 愛をテーマに扱ったラップも存在しました。 そこに目をつけたのがファザーMC。 女性に対しての愛を題材にロマンチックなラップをする。 ファーザーという名前もそこに由来があるのでしょう。
ファザーMCがレゲエからラップに方向転換した頃、パフ・ダディはA&Rとして働き始めます。A&Rとは、アーティスト&レパートリーの略で、アーティストの発掘と育成が主な仕事。 野心を抱く若きパフ・ダディ君の目にかかったのが、このファザーMCでした。
アップタウンレコードに参入したファザーMCは、
1990年にアルバム「Father's Day」で遂にデビューします。

ここでパフィはエグゼクティブ・プロデューサーとしてクレジットされています。 このアルバムを通してパフィが成功させたことは以下の3つが挙げられます。
・次期スター予備軍の紹介
・サンプリングの大ネタ使い
・ヒップホップソウルの確立(RapとR&Bの融合)
参加クレジットを見ると、バックボーカルとして、デビュー前の K-Ci & JoJo とMary J Bridge の名前が確認できます。 この時点ではまだ無名だった彼らも、このアルバムへ参加が、その後のキャリアへとつながったです。 パフィの頭の中では、既にその後の計画も描かれていたのでしょう。
このアルバムからシングルカットされた「I'll Do For You」は、シェリル・リン(Cheryl Lynn)の1978年のヒット曲「Got To Be Real」のまんま使いしています。 このアルバム以降、ファザーMCもパフィも、サンプリングソースの大ネタ使いを多用していきます。 その原点はここにあったと言えるでしょう。
メアリーJがサビ部分を歌ったこの曲「I'll Do For You」は、Hot Rap Singleチャートで見事1位を記録します。 続いてシングルカットされた「Treat Them Like They Want To Be Treated」も同じく1位を獲得します。
楽曲の親しみ易さと、ロマンチックなリリックが受け、今までラップに興味を持たなかったような女性達も巻き込んで、ファザーMCはアップタウンレコードの代表格へと躍進します。 彼にとって充分すぎるほどのデビューでした。
3. 多忙の日々
その後、ファザーMCのもとに他アーティスト作品への参加が急増します。
1991年レイ・パーカー・ジュニア(Ray Parker Jr.)のアルバム「I Love You Like You Are」にプロデューサおよびラッパーとして参加。

1993年のFour Sureのアルバム「We Can Swing」にラッパーとして参加。

1993年サントラ「Who's The Man?」には「Pimp Or Die」を提供。

1992年には自身のセカンドアルバム「Close To You」を発表します。

これまた豪華な制作人でした。 プロデューサーとしてパフ・ダディ、LAリード(L.A. Reid)、デイブ・ジャム・ホール(Dave Jam Hall)、DJエディF(DJ Eddie F)、ハウィー・ティ(Howie Tee)。 バックボーカルとしてヘイリー兄弟、メアリーJが再び参加。 アルバムの作風も前回同様New Jack Swingテイスト溢れるヒップホップソウル。 何と言っても最高傑作は1曲目の「All I Want」です。 デイブ・ジャム・ホールが作り出したメロウなトラックに、女性ボーカルのサビ部分とファザーMCのラップが絶妙に絡み合います。
このアルバムからシングルカットされたのは「Everything's Gonna Be Alright」。 K-Ci&JoJoが冒頭から熱唱しまくるこの曲は、Hot Rap Singleチャートで2位を記録しました。

3. 改名の時。低迷の時。
1994年。
MCハマーは、MCを取り外してハマーと改名することを発表します。
「ラップというジャンルにとらわれず、全ての面でエンターテイナーとしてありたい」というのがその理由でした。 改名の理由付けはともかく、MCと名乗るのは既に時代遅れの感があったのは確かです。 サルエル・パンツで踊りまくり、一躍時の人となったMCハマー。 彼の時代は確実に終わろうとしていました。 移り気の早い世間は、既に彼を「過去の人」として捉え始めます。
この業界で生き残るには、常に観客の興味をひきつける何かを行わなくてはいけない。 そう思ったハマーは、名前を変え、パーティーラップからギャングスタラップへと路線を変更します。
ファザーMCもそう感じたのでしょうか。
時期ほぼ同じくして、彼も「Father MC」から「Father」へと改名します。 さらに自身の音楽性も、今までのようなロマンチックなリリックではなく、New Jack Swing でもなく、ハードコアラッパーへと転身を図ります。 改名後初となるアルバム「Sex Is Law」のジャケットには、はじめて「Parental Advisory Explicit Content」(=教育上よろしくない歌詞が含まれている)の文字が記載されました。

テディ・ライリー(Teddy Riley)、DJエディF(DJ Eddie F)、クラーク・ケント(Clerk Kent)など有名プロデューサーを採用するも、このアルバムは失敗します。
同時期に改名&方向転換したハマーも同様に失敗しました。元来ゴスペル出身のハマーが、ギャングスタルックを身にをまとい、そう振舞ったところで何ら説得力はありませんでした。 ロマンチックな愛について唄ってきたファザーMCが、突然卑猥な言葉を多用するハードコアラッパーへ急変したことは、今までのファンを失うことを意味していたのです。
4 表舞台から裏舞台へ
レコード契約を失ったファーザーは、再び名前をファザーMCに戻し、インディーズでの活動を開始します。 今までの彼のアルバムには、その時最も旬なプロデューサーが複数参加していました。 ファザーMC自らがプロデュースを担当することはなく、楽曲作りは全て他人の手に委ねていたのです。 インディーズという限られた制作予算の中で、ファザーMCは自ら全曲をプロデュースします。 その努力の末、自作自演アルバム「This Is For The Player」が1995年に発売されます。

さらに外部での仕事も積極的にこなしていきました。
1997年に発表されたコメディ映画「Fakin' Da Funk」のサウンドトラックに参加。「Could Care Less 」を提供します。

同じく1997年に2 Live Crew のルーク(Luke)が取り仕切ったコンピレーションアルバム「Luke's Peep Show」に Father 名義で参加。

この頃からファーザーMCは、ラッパーからプロデューサーへと活動の場を変え始めます。1998年にはR&BシンガーBishopの「Missing Link」を発表。 ここではファザーがほぼ全曲をプロデュースし、真っ向からR&B作品に挑んでいます。 インディーズ M.I.L. Multimedia からの発売ながら、全曲が濃厚なメロウバラードで埋め尽くされた傑作でした。

さらに、ファザーMC自らが全米各地をオーディションして選び抜いたという、人種混合4人組女性R&BグループTeezを結成させます。 そして1999年にインディーズ Echo よりデビューアルバム「Gamin」を発表します。 ここでもファザーMCが全曲をプロデュースを担当。前述のBishop同様、大人びたスローが満載の隠れた名盤です。(ジャケットが意味不明だが)

メジャーからインディーズ。
ラッパーからプロデューサー。
大きな環境の変化のなかで、彼は地味ながらも、自らの足で少しずつキャリアを築き始めたのです。
5. 父として

1997年。ファザーMCは逮捕されます。
ニューヨークの人気女性ディスクジョッキー、ウェンディー・ウィリアムズ(Wendy Williams)の番組に出演するためラジオ局を訪れた際、待ち伏せていた警官に逮捕されます。 容疑は養育費の未払い。 彼には結婚していない女性との間に子供がいました。 その養育権をもつ女性側が、ファーザーMCから充分な支払いがされていない事を警察に訴え、今回の逮捕となりました。
さらに1999年。ファザーMCは再び逮捕されます。 容疑は前回と同じく養育費の未払いによるもの。 彼はこの女性に対し、合計66,000ドルの養育費を滞納していました。
その年、インディーズStreet Solidから、新アルバム「No Secret」をひっそりと発売します。しかし所属レコード会社があまりにも弱小の為、充分な配給もプロモーションもなく、結果を出すことはありませんでした。 これ以降、彼は姿を消してしまいます。

6. カムバック
それから4年。
誰もが彼の存在を忘れ去った2003年。 ファザーMCは表舞台にカムバックします。 配給元は大手BMG。 1994年以来ずっと弱小インディーズで活動していた彼は、再び大舞台に返り咲きました。

このアルバム「My」は、今までになくアップテンポなラップナンバーが展開されます。 特に大きなハイライトなどはなく、決して内容的には良くない作品ですが、彼がこうしてカムバックした意義のほうが大きいのではないのでしょうか?

ほぼ同時期に業界入りし、それぞれの道を歩き始めたパフ・ダディとファザーMC。
ビジネスマンとして大成功したパフィに対し、アンダーグラウンドで奮闘するファザーMC。
ありえないですが、私は再度この2人が手を組むことを未だに夢見ています。
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Category: ファザーMC
Father MC 関連作品発見!
以前取り上げたファザーMC。
前回のエントリーでは扱っていなかった彼の関連作品を発見しました!
2002年にOrpheusから発売された「Pimps And Players」です。

このアルバムは、コメディアンと思われるマイケル・ショーン(Michael Sean)の漫談と、ラップが交互に展開される構成になっています。 マイケルはエグゼクティブプロデューサーとしてもクレジットされています。
アルバムの9曲目の「Who Got It?」にファザーMCが参加しています。 ファザーMCはプロデューサー兼ラッパーとして参加しているようです。 さらにメランジ(Melange)という名の男性R&Bシンガー(グループ?)とコラボレートしていて、歌とラップが上手く混ざり合ったファザーお得意のスタイルに仕上がっています。 このメランジというシンガー、このアルバム以外では見たことないのですが、なかなかの美声の持ち主です。 Bishop、Teezに続いてファザーが送り出そうとしていたシンガーでしょうか?
それ以外の収録曲には、アイスTやKRS ONE、マッドライオン(Mad Lion)、ブランド・ヌビアン(Brand Nubian)なんかが参加しています。
さて、私の手元の資料の中では一番最近となるファザーMCの画像を入手しました。

これは2004年10月29日に、ロサンゼルスのマンダリンホテルで行われたパーティー会場でのショットです。 「Jelessy Jeans」というファッションブランドのお披露目パーティーのようです。 この写真を見ると、やはりファザーMC老けましたね。 デビューアルバムの頃のセクシーさは影をひそめ、まさに「お父さん」といった感じになりましたね。
ちなみに今から15年前はこんな感じ。

一部分だけ金髪に染めているあたりが、時代を感じさせます。
嗚呼、古き良き時代。 ニュージャックスィングよ、永遠に・・・( ´д`)
前回のエントリーでは扱っていなかった彼の関連作品を発見しました!
2002年にOrpheusから発売された「Pimps And Players」です。

このアルバムは、コメディアンと思われるマイケル・ショーン(Michael Sean)の漫談と、ラップが交互に展開される構成になっています。 マイケルはエグゼクティブプロデューサーとしてもクレジットされています。
アルバムの9曲目の「Who Got It?」にファザーMCが参加しています。 ファザーMCはプロデューサー兼ラッパーとして参加しているようです。 さらにメランジ(Melange)という名の男性R&Bシンガー(グループ?)とコラボレートしていて、歌とラップが上手く混ざり合ったファザーお得意のスタイルに仕上がっています。 このメランジというシンガー、このアルバム以外では見たことないのですが、なかなかの美声の持ち主です。 Bishop、Teezに続いてファザーが送り出そうとしていたシンガーでしょうか?
それ以外の収録曲には、アイスTやKRS ONE、マッドライオン(Mad Lion)、ブランド・ヌビアン(Brand Nubian)なんかが参加しています。
さて、私の手元の資料の中では一番最近となるファザーMCの画像を入手しました。

これは2004年10月29日に、ロサンゼルスのマンダリンホテルで行われたパーティー会場でのショットです。 「Jelessy Jeans」というファッションブランドのお披露目パーティーのようです。 この写真を見ると、やはりファザーMC老けましたね。 デビューアルバムの頃のセクシーさは影をひそめ、まさに「お父さん」といった感じになりましたね。
ちなみに今から15年前はこんな感じ。

一部分だけ金髪に染めているあたりが、時代を感じさせます。
嗚呼、古き良き時代。 ニュージャックスィングよ、永遠に・・・( ´д`)