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Sullee

あのテディ・ライリーが今最も期待を寄せている白人ラッパーがいます。
彼の名はサリー(Sullee)。
現在21歳ながらラッパー歴16年を誇る実力者です。
そんな彼の興味深い経歴を振り返ってみましょう。
1. 祖父の名の下に

本名ロバート・サリバン(Robert Sullivan)はボストンのNew England に生まれます。
"サリー”というあだ名は、彼の祖父の名前から引用しました。
「僕が生まれる数日前に祖父は他界してしまったんだ。
だから一度も会ったことはないんだよ。
でも"サリー"という名前を僕が受け継ぐことによって、
いつも彼が僕の側にいてくれるような、そんな気がするんだ。」
LL Cool Jの大ファンだったサリーは、小さいな頃からラップが大好き。
いつか有名なラッパーになることを夢見ていました。
そしてサリーが5歳の時、ある人物と出会います。
それがサリーのラッパーとしてのキャリアの始まりでした。
2. モーリス・スターの秘蔵っ子
ボストンという街は、これまでに数々のミュージシャンを輩出していています。
伝説的グループ New Edition をはじめとして、New Kids On The Block、パーフェクト・ジェントルマン、クラシック・イグザンプルなどなど。 そしてそれら全てのグループを発掘したのがモーリス・スター(Maurice Starr)でした。

かつて自らもミュージシャンだったモーリスは、その後マネージャーとしての才覚を発揮し、彼が発掘したアーティストを次々と成功させていきました。 特にティーングループの育成を最も得意としていたモーリスは、TCBという名のグループを結成させます。
Taking Care Of Bussiness。 略してTCB。
白人のローティーンのお子様達で構成されたこのラップグループは、当時人気だったクリス・クロスの白人版と考えてもらえれば一番わかりやすいでしょうか。そしてこのグループのリーダー格は、サリーでした。

TCBが注目を浴びたのは、New Yorkのアポロシアターでのパフォーマンスした。
評価が厳しいことで有名なアポロシアターの観客が、
TCBのパフォーマンスを大きな拍手で賞賛したといいます。
サリーは3年間、このグループの一員として活動します。
しかし既に下り坂だったモーリスは、このグループを大成させることはできませんでした。
TCBは結局CDをリリースすることなく解散してしまいます。
3. あきらめられない夢

TCB解散後、サリーは音楽業界から身を引きます。
彼と彼の家族はボストンの郊外Hinghamに引っ越し、サリーには普通の男の子としての生活が用意されていました。 しかし彼の音楽に対する情熱は、決して消えることはありませんでした。 地元のタレントショウやパーティー会場でのパフォーマンスを行い、ラップを続けていきます。
サリーの両親ボビーとシンディは、そんな我が子の姿を見て、もう一度サリーのラッパーとしてのキャリアを築き直すことを決意します。 当時電話会社で働いてた父ボビー氏は、会社を退職し、妻シンディと共にインディレコードレーベル Old South End Records を立ち上げます。

2003年。
高校を卒業したサリーは、 Old South End Records からデビューアルバム「It's Time」をリリースします。 ネット中心での発売ながら、評判は上々。 デビューアルバムのリリースと共に、ツアーやライブ活動も精力的にこなしていきます。 オマリオン、リル・ロミオ、Funkmaster Flex、リル・モー、David Banner、といったアーティストのオープニングアクトを務めます。
家族一丸で取り組んだサリーの再出発。
その努力が遂に実を結びます。
サリーは、ある一流プロデューサーの目にとまるのです。
4. テディ・ライリーとの出会い

そんな地道な活動がついに実を結ぶときが来ました。
そう、テディ・ライリーとの出会いです。
ニューヨークで行われたとあるパーティー会場で、サリーはテディ・ライリーを紹介されます。 サリーは自身のデモテープをテディに渡します。 デモテープを聞いたテディはサリーを気に入り、レコーディングスタジオが完備された特殊仕様の大型バスで、テディが住むバージニア州から、サリーが住むボストンまで向かうことを決意します。 その時のことをテディはこう語ります。
「才能あるミュージシャンと仕事したいと思うのは当然だろ。
俺は新人と仕事するのも好きなんだよ。
とりわけサリーみたいな才能あるニューカマーとね。」
それはある種、異様な光景でした。
ボストンの郊外にある普通の住宅街に、あのテディ・ライリーがやってきたのです。 全長22メートルにも及ぶテディの大型バスはサリーの家の前に停められ、レコーディングは始まりました。

「サリーとのレコーディングは、予想以上に順調に進んだよ。
サリーには大きな可能性を感じるんだ。 これからがとても楽しみだね。」
そんなサリーのニューアルバム「Destiny」には、テディ以外にも意外な人物がたくさん参加しています。 元 City High のボーカルClaudette Ortiz。 ラッパーのJoe Budden。 80年代に活躍したロックプロデューサー、Billy Squier。 そしてなんと Guns N' Roses の Slash もギターで参加しています。

このアルバムのハイライトは間違いなく 「A Party Ain't A Party」 です。
キャッチーなトラックに サリーの歯切れの良いラップフロウが乗っかった抜群のパーティーチューンに仕上がっています。
サリーは自身のラッパーとしてのビジョンについてこう語っています。
「エミネムはすごいクールだと思う。 彼は白人ラッパーに対する偏見の壁を取り壊してくれた。 でも僕は誰々みたいなラッパーになりたいとか、白人ラッパーだとか、そういうカテゴライズはされたくないんだ。 常にBe Myselfでいたい。 自分の経験や想いを表現して、自分がやりたい音楽をやっていく。 そしてそれを周りの人が気に入ってくれたら嬉しいよ。 自信はあるんだ。 何かが起こるんじゃないかって、そんな予感がするよ。」

待望のニューアルバムのリリースは7月24日。
彼の16年越しの夢が叶うまで、あともう少しです。
http://www.sullee.com





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MC Brains 独占インタビュー

先日のエントリで取り上げた MC Brains 改め Brainz Davis。
彼に質問メッセージを送ってみたら、とても丁寧なお返事を頂きました!
なんていい人なんだ~♪ (´∇`)ノ

阪神タイガースとの意外な関係についても語ってくれています。
以下のその概要です。
Q. | 新作「Gospel Musik」はアルバム?それともMixCD? |
A. | 「Gospel Musik」はフルレングスアルバムさ。 全23曲入りで10ドルだよ。 |
Q. | 収録曲のひとつ「Brainz Blown Out」でフックを歌っているシンガーは誰? |
A. | 彼はZEROという名前のシンガーだよ。 このアルバムのプロデューサーでもあるんだ。 |
Q. | 現在撮影中だという映画「Brainz Behind the Business」について教えて。 |
A. | これは映画ではなくTV番組なんだ。 うまくいけばケーブルTVで放送される予定だよ。 僕の毎日の生活を追ったリアリティ番組さ。 |
Q. | 日本にツアーで来る予定とかありますか? |
A. | 今年の夏にでも是非行ってみたいね。 もし多くの人が望んでくれるなら、実現させたいよ。 |
Q. | 日本のファンにメッセージをお願いします。 |
A. | MC Brains 時代に日本に一度行ったことがあるんだ。 その時は阪神タイガースの球場でパフォーマンスしたんだよ。 最高の体験だったね。 サウンドシステムも良かったし。 僕のオフィシャルサイトwww.brainzdavis.comをチェックしてよ。 Mailing Listにも登録してくれると嬉しいな。 そして何より僕のアルバムを聞いてほしい。 そしたら僕が今度日本に行った時に一緒に盛り上がれるからさ! |

日本には来たことがあるんですね。
しかも甲子園球場でコンサートしたとは知りませんでした(・∀・)
現在 Brainz はメルボルン、ボストン、ミネアポリスをツアーで回っています。
現在Brainzは31歳です。
デビューしたのが17歳の時でしたから、キャリア14年を誇るベテランなんですね。
まだまだ現役! 頑張れBrainz Davis!
(´∇`)ノ

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MC Brains

お待たせしました~(´∇`)ノ
先日のクイズの回答です!
正解はMC Brainsでした。
New Editionのマイケル・ビヴンスが所有するBiv10レコードより1992年にデビューした彼は
キャッチーなシングル「Oochie Coochie」が大ヒット。
しかしそれ以降 彼は表舞台から忽然と姿を消してしまいました。
しかし!12年という長いブランクを経て、彼は再びシーンに戻って来ました。
彼のオフィシャルサイトを覗いてみると、マイケル・ビヴンスとの出会いや、表舞台から退いた理由など、興味深い事実がたくさん書かれています。
以下のその概要です。

1974年5月24日。
MC Brainsこと James DeShannon Davis は、オハイオ州のクリーブランドで生まれます。
幼少期からラップが大好きで、いつか有名なMCになることを夢見ていました。
しかし現実はそう甘くはありませんでした。
Brainzは13歳の時に地元のギャング団に加入。
ドラックの売買など犯罪に手を染めていきます。
1992年。
足を踏み外したBrainzの運命を変える一本の電話が入ります。
それは近所のデニーズで働いている友人からでした。
「おい! あのマイケル・ビヴンスが食事に来てるぞ!」

有名人見たさに、Brainzは母親と共にデニーズへ走ります。
駐車場でビヴンスをつかまえた彼は、母親に背中を押され、ビヴンスの目の前で自慢のラップをフリースタイルで披露します。 Brainzのラップスキルを気に入ったビヴンスは、それから1ヶ月後にBrainzをロスに呼び寄せ、自らが経営するレーベル、Biv10 Record に迎え入れます。
Brianzの初舞台は、かのアポロシアターでした。
その時Brainは全くの無名。 しかし彼のパフォーマンスに観客は沸きかえり、スタンディングオベーションで称えられます。 そのステージを見たMotown Recordのスタッフから後に連絡が入り、正式にMotownと契約。 そして製作日数わずか30日で仕上げたデビューアルバム「Love Lane」をリリースします。

このアルバムには当時レーベルメイトだったBoyz II Menや、New Editionのジョニー・ギルがバックコーラスで参加しています。 アルバムは見事ゴールドディスクを獲得。 さらにシングル「Oochie Coochie」はビルボードの Hot Rap Singel チャートで1位に輝き、プラチナムディスクに認定されます。

全てが順調かに見えたBrainのキャリアですが、思わぬところに落とし穴がありました。
Brainzの発掘人であり、マネージャー兼レーベルオーナーであるマイケル・ビヴンスとの関係が悪化。 ギャラの配当における金銭問題のもつれが原因でした。 そのことが直接的な引き金となり、Brainzは当初の契約である3年という月日を飼い殺しにされます。

契約期間満了後、Brainzはレーベルを離脱。
1994年にインディーのIchiban Recordからセカンドアルバム「Brainwashed」をリリースしますが、商業的に大きな失敗に終わります。 その後Brainzは地元クリーブランドへ戻り、ひっそりと音楽活動を続けていたそうです。 一時期は Hard Cope という名のラップグループの一員として活動していた時もありました。
そして2005年夏。
長いブランクを経て、ニューアルバム「Gospel Musik」をリリースしました。

そのアルバムからの1stシングルとなる「Freak」のPVがこちら。
私個人的には この曲あまり好きではありませんが、
彼の運営するMySpaceで公開されている曲「Brainz Blow Out」は、JodeciチックなR&Bシンガーがフックを歌う、なかなかの好作に仕上がっています。
また、現在彼は MC Brains 改め、Brainz Davis と名乗っています。

最近は新しいMixtapeのレコーディングを進める傍ら、自らを主人公にした
ドキュメンタリー番組「Brainz Behind the Business」の製作も進行中です。
新しい名前とともに、カムバックを目指すBrainz。
彼の第2の挑戦はまだ始まったばかりです。
Category: クイズ
こいつ誰やねん?

帽子の似合う伊達男。
実はこの人、90年代初頭に注目を集めたラッパーです。
誰だかわかりますか?
正直この問題、かなり難易度高っス。
なぜなら「メチャクチャ人気のあった人」ではなく、
あくまでも「そこそこ人気のあった人」なので・・・
わかる人いるかなー? (゚∈゚ )
正解はこちら。
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Black Rob に7年の実刑判決

「Whoa」のヒットなどで知られるバットボーイ所属のラッパー
ブラック・ロブ(Black Rob)に7年の実刑判決が下されました。
allhiphop.comが報じたところによると、ブラック・ロブこと本名Robert Rossは、2004年にニューヨークホテルの女性客の部屋に忍び込み、6000ドル相当の宝石類と、300ドルの現金を盗んだ罪に問われていました。 彼は保釈金を払い、一時的に出所していましたが、今年の1月24日に行われたこの事件の量刑裁判を無断欠席したため、再び逮捕されました。 そして3月30日に行われた裁判で、検事局はブラック・ロブに「住居侵入窃盗罪」および「保釈違反」の罪で7年の服役を言い渡しました。

ブラック・ロブは2005年8月にニューアルバム「Black Rob Report」を発売したばかりでした。
出入りの激しいバットボーイレコードの中でも、レーベル創成期から名を連らね、
数々の客演をこなしていた実力派だっただけに、なんとも残念です。

かつて同じバットボーイレコードに所属していたラッパーで、「ビギーの再来」と言われたシャイン(Shyne)は、 1999年にNYのナイトクラブで起こした発砲事件により、殺人未遂の罪で10年の実刑判決を課せられました。 彼は現在もニューヨークのクリントン刑務所で服役中です。
出所所予定は2009年。
あのデスロウレコードがShyne獲得に乗り出している噂も出回っています。

マスターPの実の兄であるCマーダー(C Murder)。
彼は2002年にルイジアナ州にあるナイトクラブの外で16歳の少年と口論になり、その少年を射殺。 その罪で終身刑が言い渡されました。 その後本人の強い要請により、この事件の再審が行われることが最近認められ、それを受けて2006年3月16日に50万ドルにも及ぶ多額の保釈金を支払いCマーダーは仮出所。 近々行われる予定の再審に備え、現在自宅で静養中です。
また、彼は裁判に備え イメージを少しでも良くするため、
ラッパー名を「Cマーダー」から「Cミラー」に改名しました。


シャインとCマーダーに共通して言えることは、どちらも服役期間中にアルバムをリリースしていることです。 なんだかCマーダーのアルバムのCDジャケットが やたら悲しそうに写ってますね。 このアルバムにはAKONのヒット曲「Locked Up」を下敷きにした「Won't Let Me Out」という曲が収録されています。 受刑者であるCマーダーがその心境を切々とラップしております。

Black Robにはこれから7年という長い服役が待っていますが
その間に彼の作品が聞けると良いですね。
Category: B2K
ラズB in アポロシアター

元B2KのRazB君がニューヨークのアポロシアターでコンサートを行います。
「Make A Change」と銘打ったこのライブは、チャリティを目的としたコンサートで
収益金の一部はカンボジアに学校を建設する費用として寄付されるそうです。
当日はRaz B君以外にも、The Winans、Amount Boyz、Jae Millsなど
他アーティスト達もステージでパフォーマンスします。
その共演者の中に懐かしい名前を発見しました! Kia Thornton。
彼女は1998年にデビューした女性3人組R&BグループDivineの元メンバーです。

ニュージャージ州にある高校の同級生で結成されたこのグループは、
1998年にインディーレーベルRed Antからシングル「Lately」をひっそりと発表します。
しかしこのバラードが全米で爆発的なヒットとなり、
全くの無名ながら瞬く間にビルボードチャートの1位まで昇り詰めます。
それは彼女達が高校を卒業して僅か1週間後のことでした。
見事アメリカンドリームを実現した彼女達は
その勢いに乗り同年10月にアルバム「Fairly Tales」を発表します。

インディア・アリー(India.Arie)らをプロデューサーに招いたこのアルバムですが、シングルほどの成功をあげることは出来きず、それ以来彼女達の名前を聞くことはありませんでした。 まさに一発屋だったわけですが、あれから8年の月日が経ち、メンバーの1人が現在ソロ活動中だとは今回初めて知りました。 嬉しい発見です。
B2K解散後ソロに転向し、カムバックを試みているRazB君同様
彼女にも是非頑張って欲しいですね ( ´ー`)