Category: R&B全般
H Townを偲ぶ。Dinoを偲ぶ。

年齢を重ねるごとに時の流れは早くなる。
過ぎ去った時間を振り返るのが多くなったのは年を取った証拠なのか。
17歳の秋。
当時高校3年生だった自分は、今は亡き横浜関内のバージンレコードによく通っていた。
そこで触れる輸入レコードから感じる海外の匂いが大好きだった。
まだ行ったことのない海の向こうにたくさんの憧れを抱いていた。
ある日そのレコード屋でふと手にしたレコードがある。
H-Townのデビューアルバム「Fever For Da Flavor」だ。

当時のダンサーたちの間で流行っていたフランネルのフードを羽織ったその三人組は、アルバムタイトルからも察するように Bell Biv Devoe や GUY のような縦ノリ系のダンスミュージックが得意そうな風貌だった。当時ヒップホップダンスに没頭していた自分は、踊りの練習の時に使える曲があればいいやという軽い気持ちでそのレコードを買って帰ることに。
家に帰ってからレコードに針を落とすと、良い意味で期待を大きく裏切られた。リードボーカルのDinoの粘るような歌唱力と、スローでナスティなバラードが最高にかっこ良かったからだ。
それから数十年の月日が経ち、ふと彼らのことを思い出した。
H-TownのCDをかけると一瞬にして当時の自分にタイムスリップした。
たくさんの夢と希望を抱えていたあのころの自分に。

H-Townは、テキサス州のヒューストン出身の双子兄弟DinoとShazamから結成される。
彼らが録音したデモテープを、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったラップグループ 2 Live Crew のルーサー・キャンベルにそのデモテープを送ったところ、その出来栄えのよさに驚いたルークはすぐにその二人を呼び寄せる。ルークの目の前で即興で歌を披露したところ即契約に至ったという。
その後幼馴染のGIを加えトリオ編成となった彼らは、1993年に前述のデビューアルバムをリリース。アルバムからの1stシングルとなった「Knock'n Da Boots」はビルボードのR&Bチャートで1位を記録する大ヒットに。後に彼らの代表曲として知られることになる名曲だ。アルバムもプラチナムに認定され、当時のR&Bシーンを代表する存在にまで成り上がった。

なによりもDinoの歌唱力が目を引くが、それをトータルプロデュースしたルーサー・キャンベルの策士ぶりにも脱帽してしまう。ルーサーといえばそれまでは卑猥なリリックで数々の物議を醸し出した問題児ラッパーだ。しかしエグゼクティブプロデューサーとしての彼はそのイメージを一新。良質なR&B作品を仕上げるため指揮官として采配を揮った。その作品の完成度は、彼の卓越したトータルプロデュース力を見事に証明して見せた。そんな彼の才能に驚いたのは私だけではないはずだ。

デビューした1993年のSoul Train Awardでは「Best R&B/Soul or Rap New Artist」を受賞。その翌年の1994年には早くも2ndアルバム「Begging After Dark」をリリースし、ゴールドディスクに輝く。安定した人気を手中に収めた彼らだが、3rdアルバム「Ladies Editions」のリリースをめぐって、デビュー以来 共に歩んできたきたルークと決別。このあたりから彼らは徐々に失速し始める。

1998年以降グループの活動は事実上休止状態となる。2000年にメンバーのShazamはインディーズからひっそりとソロアルバムを出すものの、その5年間、H-Townは第一線から姿を消すこととなった。
そして彼らの名前を久しぶりに耳したのは意外なところだった。
2003年1月28日。
Dinoはヒューストンのレコーディングスタジオを出る。ガールフレンドが運転する車に乗りこみ、車道を走っている最中、赤信号を無視したスポーツカーに激突され、Dinoとガールフレンドは即死。追突してきた車には3人が乗車していたが、彼らは全員無事だった。ディノはまだ28歳だった。

Dinoの不慮の事故の翌年、実に7年ぶりとなるH-Townのカムバックアルバム「Imitation of Life」がリリースされた。このアルバムは弟のShazamが主導をとり、Dinoの未発表曲を含む追悼アルバムという位置づけになった。生前、マーティン・ローレンス主演の映画「A Thin Line Between Love & Hate (1996年)」のサウンドトラックで共演したZappのロジャートラウマンもこのアルバムに参加している。

その後、H-Townはどうしているのだろうか。
ShazamとGIはデュオとしてH-Townの活動を継続。2009年にはJODECIと共演し、自分たちの往年のヒット曲「Knock'n Da Boots」をベースにした「Knockin' Your Heels」を発表し、当時のファンたちを喜ばせている。

弟のShazamはインタビューでこう語っている。
「H-Townのニューアルバムは完成したんだ。でも今はレーベル捜しで少し問題があってね。レーベル側はDinoの代わりの新メンバーを入れろって言うんだよ。その条件が飲めなければ契約はしないって。僕からすれば誰もDinoの代わりになんかなれないよ。だからそんな話は受け入れられない。そんな事情があって、H-Townのアルバムより僕のソロアルバムが先にリリースされるかもしれない。そのアルバムの中でH-Townの曲もいくつか入れれられれば良いなと思ってるんだ。」
このインタビューは2008年に行われたものだ。
2012年現在、H-TownのアルバムもShazamのアルバムもリリースされていない。
近年のミュージックシーンでは、ベテランシンガー達の苦闘が続いている。ティーンネイジャーの歌手達が中心のこのご時勢、かつて賑わせた往年のシンガー達は作品のリリースに漕ぎ着けるのがとても難しい現状だ。

人は誰しもが確証のない未来を歩んでいく。
喜びと哀しみを繰り返す毎日の中で、それぞれが生きた証を残そうとしていく。
それが人生なのかもしれない。
Dinoにとって、それは彼の歌 そして H-Townそのものだったのだろう。
彼のH-Townは、残されたメンバーたちの手によって今も続いている。
そしてDinoのことを知らない若い子たちが、彼らの曲にインスパイアされる日が来るのかもしれない。
自分がかつてH-Townのレコードを手にしたあの日のように。

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◎今日のひとこと◎
超久しぶりにエントリを書いてみましたっ!(・∀・)ノ
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