あの人今何してるの?

かつて一世を風靡した人達を追い続けるハードコアな独り言の数々

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ジン

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映画「8 Mile」って見ました?
あの映画はエミネムの半自伝的映画ですが、
あのストーリーによく似た生い立ちを持つラッパーが、もう一人いるんですよ。
しかもこの人、中国人。
フリースタイルの実力はエミネム以上との噂も。
彼の出現は、あまりに衝撃的でした。
これまでの軌跡と、現在の活動を探ってみましょう。



1. 逆境をバネにして

中国からアメリカに移民してきた両親は、
フロリダ州マイアミに小さな中華レストランを開業する。
そして1982年にジン(Jin Auyeung)は生まれた。

ヒップホップに始めて触れたのは中学一年生のとき。

「ラジオでLLクールJの曲を聴いた時はビビったね。何これ?って感じ。すぐにレコード屋に探しに行ったよ。 それからNaughy By Nature、Nas、Notorious B.I.G、 Kriss Kross なんかを聴いてるうちに、ライムを書き始めるようになったんだ。その日から自分の趣味が生活に変わっていったね。」

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クラスメート達とラップを始めたのは17歳の頃。 学校のカフェテリアが披露の場だったとか。 そして地元クラブのフリースタイル・コンテストに参加し始める。 無論アジア系ラッパーなど周りには誰一人としていない。バトルの時は、いつもアジア人であることを蔑称され、嘲笑され、攻撃の的にされた。しかしジンはその時こう思ったという。

「自分がアジア人であることは、逆に自分の武器なんだって気付いたんだ。アジア人である事を攻撃してくる奴には、それを逆手にとって反撃すればいいのさ。」



2. ニューヨークでの奇跡

高校を中退し、自らが作成したミックステープをストリートで売り、ラジオやクラブのフリースタイルバトル大会に出場しては優勝を総なめにした彼は、2001年に家族と共にニューヨークへ移住。ヒップホップ発祥の地でも精力的に活動していった。

「とにかく何処でも誰でもかまわずバトルしてたね。 公園だろうと、ショッピングモールだろうと、ストリートだろうと。 一度ミスター・チークス(Lost Boyz)を見かけてさ、サインもらいに行く振りして近づいて、彼にバトルを吹っかけたんだ。 俺の圧勝だったよ。」

ストリートでラップを披露している所を、マネージャーにスカウトされる。 そしてマネージャーからBETの人気番組「106 & Park」の名物コーナー「Freestyle Friday」のオーディションを薦められる。

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BETはアメリカのケーブルテレビ局の1つで、一日中アフリカ系アメリカ人向けの番組を放送している。 なかでも月~金にかけて放送される生放送の音楽番組「106 & Park」は局の看板番組だ。 最も人気のあるコーナーは「Freestyle Friday」。 2人のラッパーが各自30秒の持ち時間でフリースタイルを披露し、会場に来ている審査員がその場で勝敗を判定するというものだ。 勝者は次週もチャンピオンとして再び参加する事が許され、新たなチャンレンジャーと対決する、という勝ち抜き戦形式。 

人気番組ということで会場にはいつも観客がたくさん詰め掛ける。 実力のないものには罵声が浴びせられ、才能のあるものには歓声が鳴り響く。 しかも全米生放送なので、出場するラッパーからしてみれば、そのプレッシャーは相当なものだ。

そもそもこの番組に出場するには、オーディションを通過しなければならない。全国から集められた腕に自身のあるラッパー達が凌ぎを削るのだ。ジンがオーディション会場に着くと、周りに300人の参加者がいた。

「その300人の中で、アジア人は俺一人だったね。 周りは皆黒人かチカーノ。 でも俺からしてみれば見慣れた光景だったよ。」

経験豊富なジンは、実力を存分発揮し、見事番組の出場権を奪取した。
しかしそれは伝説の始まりに過ぎなかった。



3. 衝撃的デビュー

2002年2月22日は、伝説の始まりだった。

挑戦者として参加するジンの相手は、既に6週を勝ち抜いている強敵Hassan。 会場はジンの姿を見た瞬間にHassanの勝ちを決まったかのような雰囲気。 しかし先攻ジンがマイクを握りラップをし始めると、そんな雰囲気は一変する。 後攻のチャンピオンHassanは、言葉を失い、痛恨の途中リタイア。 それはまさに映画「8マイル」の一幕のようだった。

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続く2週目、3週目と勝ち続けるジン。 
ジンの快進撃は、会場の客だけではなく、審査員、TVで見ている視聴者達までも魅了していった。 大歓声の中、見事7週連続勝利を収めたジンは、晴れて「殿堂入り」を達成した。 

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続いてレコードレーベルと契約が決まった事を発表。契約したレーベルは、ラフ・ライダース(Ruff Ryders)。 DMXを筆頭に、LOX、Drag-On、EVE(※その当時在籍)などが所属する、あのレーベルだ。

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更には、この様子をTVで見ていた映画監督ジョン・シングルトンは、ジンをいたく気に入り、映画「2 Fast 2 Furious」への出演を依頼。 R&Bシンガーのタイリースや、人気ラッパーのリュダクリスも出演するこの映画に、車修理工のジミー役として映画初出演を果たす。 

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映画内でもフリースタイルを披露。
更にはこの映画のサウンドトラックにも曲「Peel Off」を提供した。

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TV番組での偉業達成。
メジャーレコードとの契約。
ハリウッド映画へ出演。
全てが順調に見えたのだが・・・



4. 長い道のり

BETでの快挙により彼の知名度は鰻昇り。 Vibe誌やXXL誌といったヒップホップ雑誌だけでなく、TIME誌、ローリングストンーズ誌、ニューヨークタイムスまでもがジンの記事を掲載。 まさに彼は話題の人となった。

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そして多くの人が彼のアルバムを心待ちにした。 しかしその一方で、彼のアルバム製作に対して冷ややかな声も聞こえ始める。

「フリースタイルの実力とアルバムの出来は全く別。」
「スタジオでの彼の実力は未知数。」
「フリースタイルで得たリスペクトを、果たしてアルバムを通しても得る事が出来るのか?」

フリースタイルのラッパーはアルバムではなかなか売れない、というジンクスを、彼にも浴びせたのだ。そんな憶測が行き交うなか、さっそくアルバム製作に取り掛かるジン。Kanye West、Wyclef Jean、Just Blazeといった豪華プロデューサー陣らとスタジオワークをこなす。 配給元も大手Virgin Recordに決まり、お膳立ては全て整ったかに見えた。

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しかし所属のラフ・ライダースは、完全に全盛期の勢いを失っていた。 看板ラッパーEVEは離脱。稼ぎ頭のDMXは俳優業に専念するため引退宣言。 更にはVirgin Recordが度重なるアルバムの発売延期を発表。アルバムは既に完成されたのもかかわらず、なかなか世に出てこない状態が続いた。

不運は続く。
2003年11月。 NYチャイナタウンにあるバー「Yellow」にて、地元ギャング団の構成員と思われる男と口論になり、発砲事件へと発展した。 ジンに怪我はなかったが、ジンの取り巻きでラッパーのLSが、ジンをかばおうとして前に出た際に被弾。 病院送りになったものの、一命は取り留めた。

その翌月の2003年12月に、アルバムの前哨戦として1stシングル「Learn Chinese」を発売。

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それから待つ事1年、2004年10月に待望のデビューアルバム「The Rest Of History」が発売された。

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しかしジンのBET時代から既に2年半の月日が経ち、番組では新らたなチャンピオンが数多く生まれ、完全に彼は過去の人となっていた。
また、実際の録音時期と発売時期に間隔があるため、トラックに若干の古臭さがあることも否めない。

全ての面でそれはあまりにも遅すぎたデビューだった。



5. 引退宣言

1stアルバム「The Rest Of History」は、ビルボード最高位54位と、期待されたほどの売上を上げることはなかった。

それでもジンは積極的なプロモーションを続けた。日本を含めたアジアツアーを消化。 2004年末にはプエルトリコで行われたMCバトル大会「Fight Klub」で、強敵 Shells を打ち負かして見事優勝するなど、決して休むことなく動き続けた。

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2005年2月には彼のドキュメンタリーDVD「Making Of Rap Star」を発売。 しかしこのDVDも、当初の発売予定日から1年以上の延期を経てのお目見えだった。

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2005年5月、自らのHPで引退を発表。
アルバムの売上不振や、ラフ・ライダースから契約が切られたことがその理由として憶測されるが、はっきりとした理由は言明しなかった。 今後は俳優活動や、自身が立ち上げた非営利団体YOFAMを通して、アジア系アメリカ人の地位向上ためボランティア活動を続けていくそうだ。

以前彼はこう語っている。

「俺は自分がアジア系アメリカ人最初のラッパーだとは思わない。アンダーグラウンドには才能あるアジア系ラッパーが沢山いるよ。 彼等にドアを開く事が俺の役目だと思うんだ。」

彼が残した功績は大きい。
しかし、彼の早すぎる引退を嘆く声が多いのも事実だ。
JayZやMaster P、DMXのように引退宣言を撤回してカムバックする前例もある。 
いつになるかわからないが、彼のカムバックを皆で祈ろう。




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オフィシャルサイト
http://www.myspace.com/jinthamc
引退宣言に伴い、以前のサイトは閉鎖されてしまいました。
現在のサイトは内容的にかなり貧弱です。




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Comments


YUMAさん、はじめまして! JINはその後 引退宣言を撤回し、ラッパー名を The Emcee に改名して復活しました。 新アルバムも、もうすぐ発売されます! そこらへんの一部始終も過去のエントリで扱っているので、こちら(↓)を一読ください。

http://bobbybrown.blog14.fc2.com/blog-category-3.html

赤髭様より寄せられたバトルビデオに関する貴重な情報もコメントで寄せられています!(´∇`)ノ
まじかよ
最近JINのDVDをみて彼のラッパーとしてのすごさを知りました。しかし。。。。引退していたとは。。。実に早すぎる引退。
彼のCDを買うことはできないかと思うとマジショック
彼のラップバトル映像等をお持ちの方は送ってください。期待してます。

C☆さん、コメントありがとうございます!

そう!私も全く同じ気持ちなんですよ~
彼が勝利を収める度に、
自分のことのように嬉しがりました・・・

今後のジンの動向は
これからもずっと追跡していきますので
何かわかり次第ここでお知らせします!

またちょくちょく遊びに来てください。
それでは、それでは。
(ノ´▽`)ノ
ジン
本当に。ジンの持つスタイル、ジンが106でバトルしている瞬間はアジア人として心を揺さぶる衝撃と期待がありましたね。
引退していたとは知りませんでした。
その後の追記ニュースなどあったら教えてくださいね!






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