あの人今何してるの?

かつて一世を風靡した人達を追い続けるハードコアな独り言の数々

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Immature

Immature.jpg

上の写真すごくないですか?
ファッションも、髪型も、目つきも。 

これ1994年の写真なんですが、当時彼らを見た時は、確実にすぐに消えていくだろうな、と思いました。 ところがその読みは見事に外れました。 それから10年以上の月日が経ち、大人に成長した彼らは、今でも第一線で頑張ってます。 今日はそんな彼らの軌跡を振り返ってみましょう。



1. クリス・ストークス君の野望

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彼らの生い立ちを語る上ではずせない人物が1人いる。 
クリス・ストークス(Chris Storkes)。 
妹はラッパーのSmooth。 

クリスは一つの野望を抱いていた。 それは自らが発掘し、自らマネージメントを手がけ、自らプロデュースして、世に送り出すという構想だ。 さらにもう一つ。 人選する上では、とにかく「変声期前のティーンネイジャー」という条件にこだわった。 第2の Jackson 5 や New Edition のようなキッズグループを作りたかったのだ。 

そんなクリス君は有望な人材発掘の為、地元ロス周辺でタレントショーやコンテストを駆けずり回る。 その結果として、3人のキッズを選び抜いた。 

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【写真左】
 マーカス・ヒューストン(Marques Houston)
 ボーカル。 通称バットマン。
 抜群の歌唱力を誇る。 グループのリーダ格。

【写真中央】
 ジェローム・ジョーンズ(Jeremoe Jones)
 ラッパー。 通称ロミオ。
 とにかくイケメン。ビジュアル担当。 

【写真右】
 ドン・サントス(Don Santos)
 ラッパー。 通称ハーフパイント。
 元気なラップが取り柄のオチビちゃん。 
 くりくりお目めがとってもキュート。 

全員が1981年生まれの同い年。 
当時わずか10歳の完全なお子ちゃま達だ。 
グループ名はそのまんまイマチュア「Immature(=成熟していない)」と名付けられた。

長い長い旅の幕開けだった。



2. 失敗からの始まり

1991年。 元ニュー・エディション(New Edition)のマイケル・ビブンス(Michael Bivens)が手掛けた6人組 Another Bad Creationがデビュー。 まさに質より数で勝負した感じのキッズグループだったが、舌足らずのおこちゃま達が、懸命にラップしながら踊る姿は、かわいさも手伝って、彼等のアルバムはビルボード7位を獲得する。

abc.jpeg


1992年。お子様ラップデュオ、クリス・クロス(Kriss Kross)が大旋風を起こす。 So So Defレコードの社長であるジャーメイン・デュプリ(Jermain Dupri)によって発掘されたこの2人組は、幼くてかわいいんだけど、ラップもできる。 奇抜な洋服に身を包んで、誰でものれるパーティラップで世間の注目を集めた。 

KrissKross.jpeg


クリス・ストークスからしてみれば、確実に先を越された感があっただろう。 彼らに遅れること1992年。 イマチュアはバージン・レコードより「On Our Worst Behavior」で念願のデビューを果たす。  

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クリスは3曲をプロデュースし、外部プロデューサーとしてジェーメイン・デュプリ(Jermain Dupri)、クリス・トリッキー・スチュワート(Chris Tricky Stewart)やアーロン・ホール(Aaron Hall)も参加。 ニュージャック・スゥイング 的なハネるトラックに乗せて、元気なラップが絡むという、明らかにクリス・クロスの流れを感じさせる内容だった。  

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同時に映画界への進出も果たした。 キッド・イン・プレイ(Kid In Play)主演の人気コメディシリーズ「House Party 3」に3人揃って出演。 共演者にはTLCも名を連ねるこの映画では、彼らの貴重なステージパフォーマンスも拝めることができる。 加えて同サウンドトラックにも「Wakes You Up」で参加した。



3. メンバー脱退

全ては順調かのように見えたが、実際はそうもいかなかった。
アルバムの売上は伸び悩み、バージンレコードとの契約も打ち切られた。 お子様パーティーラップは、既に時代遅れになっていたのだ。

更にイマチュアは追い詰められる。 ハーフ・パイント君の脱退が決定した。 今後のグループ活動に将来性を感じられなれなくなったハーフ・パイント君の母親がいち早く手を引いたようだ。   

グループ結成から3年。 オリジナルメンバーを失った彼らは、早くもグループ存続の危機に直面したのだった。



4. 新メンバー加入

とにかく新しいメンバーを探すことが先決だった。 クリスがハーフ・パイントの後釜として選んだのは、通称LDB(リトル・ドラマー・ボーイの略)こと Kelton Kessee君。 当時イマチュアのバックバンドでドラムを担当していた少年だ。 

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新らたにLDBが加入し生まれ変わった イマチュアは次なるアルバムの録音に入った。 クリスの中でアルバムのコンセプトは既に出来上がっていたのだ。 「大人びたバラードを歌いあげる子供達」。  前回とは全く対極にある方針で製作されたセカンドアルバム「Playtime Is Over(=お遊びはもうおしまい)」は、1994年MCAレコードより発表された。 

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ほぼ全曲がスロウバラードで構成されたこのアルバムは、バットマン君の一人舞台だった。 変声期前のマイケル・ジャクソンを彷彿させるようなソウルフルな歌声。 弱冠13歳の子供が、こんな表現力ある奥深い歌い方をするとは大きな驚きだった。 

「マイケル・ジャクソンは、僕が最も影響を受けたアーティストだよ。 いつか彼みたいに成功したいと思っているんだ」(バットマン談)

このイメージチェンジは功を奏し、1stシングルの「Never Lie」はビルボードチャートで最高5位を記録。 イマチュア史上最大のヒット作となった。 続く「Constantly」「I Don't Mind」もスマッシュヒットとなり、アルバムもゴールドディスクに輝いた。  

1995年、映画「デンジャラス・マインド(Dangerous Mind)」のサウンドトラックに「Feel The Funk」を提供。 ロミオ君のスヌープ気味のラップが聴くことのできる貴重な作品だ。 

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同年、3rdアルバム「We Got It」を発表。 このアルバムでは前作とは反対に、明るく爽やかなアップナンバーを中心に構成された。 策士クリスの思惑はまたも当たり、このアルバムはヒットした。 なかでもタイトル曲「We Got It」では、クリスの妹のSmoothのラップをフィーチャリングし、ビルボードでは最高37位を記録した。

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5. 声変わりという壁

ニューエディションの往年のヒット曲「Boys to Men」をご存知だろうか? 人気グループ ボーイズⅡメン(Boyz II Men )がこの曲にインスパイされてグループ名を付けた事でも有名だが、発表から15年以上経った今でも、決して色褪せることのない名曲だ。 少年から大人へと成長していく複雑な気持ちをこう歌っている。

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 Growing up can be a pain.
 You're not an man untill you come of age
 We've given up our teenage years.

 大人になることはつらいことだけど
 それを受け入れなきゃいけない時が来る。
 一人前の男になるために。




イマチュアにもその時が来た。 
少年時代への惜別の時が。

1997年に発売された4thアルバムは「The Journey(=旅立ち)」と名づけられた。グループ結成時に10歳だった彼らも、この時16歳。 バットマンは変声期を終えていた。 以前の幅のあるボーカルは影を潜め、声域の狭い鼻声じみたボーカルへと変わっていた。 それでも必死に歌いつづけるバットマン。 昔を知っているファンからしてみれば、このアルバムを一枚聞き終えることは、少々きついだろう。 今回のアルバムではキース・スウェット(Keith Sweat)、ダズ・ディリンジャー(Daz Dillinger of Dogg Pound)、ビジー・ボーン(Bizzy Bone of Bone Thugs Harmoney)といった面々がフューチャーされているが、前2作のアルバムと比較すると全体的に統一感のない内容に感じられる。 イマチュアが自身の音楽性というのを必死に模索しているように見えた。  

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彼らにとって新らたな旅立ちの時だった。



6. 改名

グループ名をImmatureからIMxに改名。
肉体的にも音楽的にも成熟した、変化の現れだった。 

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「イマチュア(成熟していない)という名前から卒業する時が来たな、と感じたんだ。 メンバーそれぞれが成長して、音楽的にも大人になったからね。」(バットマン談)

更にプロデューサー・チームであるプラチナ・ムステイタス(Platinum States)を結成。 トニー・スコット(Toni Scott)、そしてIMxのメンバーから編成されている。 パフォーマーとしてだけでなく、製作サイドにも深く関わっていきたいと言う彼らの意思から生まれたものだった。

「幅広い年齢層のリスナーが欲しいんだ。 ティーンネイジャーの子達から、その子達の親の世代にまでアピールできるような音楽を目指しているよ。」(バットマン談)

1999年。 アルバム「Introducing IMx」を発表。

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このアルバムでは、彼らは前述のプラチナム・ステイタス名義でプロデューサーとしても参加している。 1stシングルとなった「Stay The Night」は、ロミオのラップを大きくフューチャーしたダンスナンバー。 この曲の監督はハイプ・ウィリアムス(Hype Williams)が担当し、MTVやBETではヘビーローテーションされた。 ビルボートチャート最高19位をマークし、彼らにとっては久しぶりの大ヒット作となった。 

その後プロデュース業が拡大。 
デスティニー・チャイルド(Destiny Child)、ブラック・アイボリー(Blaque)、そして彼らの弟分であるB2Kの作品などを手掛けることに。 

さらには映画界にも再進出。 2001年にコメディ映画「House Party 4 Down to the Last Minute」を発表。 以前から映画監督への興味を示唆していたクリス・ストークスがメガホンを握り、主演はIMxの3人がこなした。 この映画と同じ配給会社を通じて、アルバム「IMx」を発表。 彼らにとって通算6枚目のアルバムとなった。

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さらにこの時期、クリス・ストークスと共に、マネージメント会社TUG Entertainmentを設立。 所属するアーティストは、Imxを筆頭に、B2K、O'ryan、Smooth、Jhene、TG4、N2U、2Muchなど。 次なるIMxの座を狙う、若手R&Bアーティスト達の養成所のような顔ぶれだ。 そのなかでもB2Kは最も大きな成功を収めたグループ。 2002年にはクリス・ストークス監督、B2K&IMx主演のダンス映画「You Got Served」が完成。 全米興行成績1位を記録する大ヒットとなった。



7. 活動休止

2003年。 バットマンことマーカス・ヒューストンはソロデビューアルバム「MH」を発表した。 

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このソロアルバムの発売により、IMx解散の噂が広まった。 だがロミオとLDBはプラチナム・ステイタス名義で、このアルバムにプロデューサーとして参加。 アルバムのイントロでは、ロミオとLDBがマーカスに対する激励の言葉を残している。

「グループは解散したの?ってよく聞かれるんだけど、してないよ。 活動を一時的に休止しているだけ。  今僕はソロ活動という新しい世界に踏み込んだけど、今でもImxのメンバーであることに変わりないよ。 」(バットマン談)

2004年。ロミオはヤング・ローム(Young Rome)に名前を変えてソロデビュー作「Food For Thought」を発表。 

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このアルバムに収められた美メロ曲「Better Days」の中で
ヤング・ロームはこうラップしている。



 I gotta give it up,
 to the greatest niggas of my life Marques Houston, LDB
 If I can change anything, I wouldn’t change nothing at all
 It felt good to see Marques go solo
 I stood by his side
 His dreams was my dreams
 So the love will never die

 生涯最高の友人であるマーカス・ヒューストンとLDBにこの曲を捧げたい。
 俺達が一緒に歩んできた日々は最高だった。
 マーカスがソロになって成功したことは、自分のことのように嬉しいよ。
 俺達の友情はこれからもずっと続くんだ。



2005年には、早くもマーカス・ヒューストンの2枚目のソロアルバム「Naked」が発売。 ここからのファースト・シングル「All Because Of You」のビデオではIMxの3人揃っての姿が拝められる。

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「僕達の間で嫉妬や争いなんてないよ。 僕達は小さい頃からずっと一緒だった。 本当の意味で僕達はブラザーなんだよ。」(バットマン談)

2006年の発売に向けて、IMxがスタジオ入りしたとの噂を耳にした。 多くのキッズグループが現れては消えるていくなかで、結成から15年経った今でも第一線で音楽を作りつづけている。 その秘訣は彼らの固い結束力にあるのかもしれない。 



マーカス・ヒューストンのオフィシャルサイト
http://www.marques-houston.com/

ヤング・ロームのオフィシャルサイト
http://www.young-rome.com/main.html
こちらは長い間更新されていません。




=6 =0

Category: ジン

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ジン

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映画「8 Mile」って見ました?
あの映画はエミネムの半自伝的映画ですが、
あのストーリーによく似た生い立ちを持つラッパーが、もう一人いるんですよ。
しかもこの人、中国人。
フリースタイルの実力はエミネム以上との噂も。
彼の出現は、あまりに衝撃的でした。
これまでの軌跡と、現在の活動を探ってみましょう。



1. 逆境をバネにして

中国からアメリカに移民してきた両親は、
フロリダ州マイアミに小さな中華レストランを開業する。
そして1982年にジン(Jin Auyeung)は生まれた。

ヒップホップに始めて触れたのは中学一年生のとき。

「ラジオでLLクールJの曲を聴いた時はビビったね。何これ?って感じ。すぐにレコード屋に探しに行ったよ。 それからNaughy By Nature、Nas、Notorious B.I.G、 Kriss Kross なんかを聴いてるうちに、ライムを書き始めるようになったんだ。その日から自分の趣味が生活に変わっていったね。」

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クラスメート達とラップを始めたのは17歳の頃。 学校のカフェテリアが披露の場だったとか。 そして地元クラブのフリースタイル・コンテストに参加し始める。 無論アジア系ラッパーなど周りには誰一人としていない。バトルの時は、いつもアジア人であることを蔑称され、嘲笑され、攻撃の的にされた。しかしジンはその時こう思ったという。

「自分がアジア人であることは、逆に自分の武器なんだって気付いたんだ。アジア人である事を攻撃してくる奴には、それを逆手にとって反撃すればいいのさ。」



2. ニューヨークでの奇跡

高校を中退し、自らが作成したミックステープをストリートで売り、ラジオやクラブのフリースタイルバトル大会に出場しては優勝を総なめにした彼は、2001年に家族と共にニューヨークへ移住。ヒップホップ発祥の地でも精力的に活動していった。

「とにかく何処でも誰でもかまわずバトルしてたね。 公園だろうと、ショッピングモールだろうと、ストリートだろうと。 一度ミスター・チークス(Lost Boyz)を見かけてさ、サインもらいに行く振りして近づいて、彼にバトルを吹っかけたんだ。 俺の圧勝だったよ。」

ストリートでラップを披露している所を、マネージャーにスカウトされる。 そしてマネージャーからBETの人気番組「106 & Park」の名物コーナー「Freestyle Friday」のオーディションを薦められる。

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BETはアメリカのケーブルテレビ局の1つで、一日中アフリカ系アメリカ人向けの番組を放送している。 なかでも月~金にかけて放送される生放送の音楽番組「106 & Park」は局の看板番組だ。 最も人気のあるコーナーは「Freestyle Friday」。 2人のラッパーが各自30秒の持ち時間でフリースタイルを披露し、会場に来ている審査員がその場で勝敗を判定するというものだ。 勝者は次週もチャンピオンとして再び参加する事が許され、新たなチャンレンジャーと対決する、という勝ち抜き戦形式。 

人気番組ということで会場にはいつも観客がたくさん詰め掛ける。 実力のないものには罵声が浴びせられ、才能のあるものには歓声が鳴り響く。 しかも全米生放送なので、出場するラッパーからしてみれば、そのプレッシャーは相当なものだ。

そもそもこの番組に出場するには、オーディションを通過しなければならない。全国から集められた腕に自身のあるラッパー達が凌ぎを削るのだ。ジンがオーディション会場に着くと、周りに300人の参加者がいた。

「その300人の中で、アジア人は俺一人だったね。 周りは皆黒人かチカーノ。 でも俺からしてみれば見慣れた光景だったよ。」

経験豊富なジンは、実力を存分発揮し、見事番組の出場権を奪取した。
しかしそれは伝説の始まりに過ぎなかった。



3. 衝撃的デビュー

2002年2月22日は、伝説の始まりだった。

挑戦者として参加するジンの相手は、既に6週を勝ち抜いている強敵Hassan。 会場はジンの姿を見た瞬間にHassanの勝ちを決まったかのような雰囲気。 しかし先攻ジンがマイクを握りラップをし始めると、そんな雰囲気は一変する。 後攻のチャンピオンHassanは、言葉を失い、痛恨の途中リタイア。 それはまさに映画「8マイル」の一幕のようだった。

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続く2週目、3週目と勝ち続けるジン。 
ジンの快進撃は、会場の客だけではなく、審査員、TVで見ている視聴者達までも魅了していった。 大歓声の中、見事7週連続勝利を収めたジンは、晴れて「殿堂入り」を達成した。 

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続いてレコードレーベルと契約が決まった事を発表。契約したレーベルは、ラフ・ライダース(Ruff Ryders)。 DMXを筆頭に、LOX、Drag-On、EVE(※その当時在籍)などが所属する、あのレーベルだ。

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更には、この様子をTVで見ていた映画監督ジョン・シングルトンは、ジンをいたく気に入り、映画「2 Fast 2 Furious」への出演を依頼。 R&Bシンガーのタイリースや、人気ラッパーのリュダクリスも出演するこの映画に、車修理工のジミー役として映画初出演を果たす。 

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映画内でもフリースタイルを披露。
更にはこの映画のサウンドトラックにも曲「Peel Off」を提供した。

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TV番組での偉業達成。
メジャーレコードとの契約。
ハリウッド映画へ出演。
全てが順調に見えたのだが・・・



4. 長い道のり

BETでの快挙により彼の知名度は鰻昇り。 Vibe誌やXXL誌といったヒップホップ雑誌だけでなく、TIME誌、ローリングストンーズ誌、ニューヨークタイムスまでもがジンの記事を掲載。 まさに彼は話題の人となった。

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そして多くの人が彼のアルバムを心待ちにした。 しかしその一方で、彼のアルバム製作に対して冷ややかな声も聞こえ始める。

「フリースタイルの実力とアルバムの出来は全く別。」
「スタジオでの彼の実力は未知数。」
「フリースタイルで得たリスペクトを、果たしてアルバムを通しても得る事が出来るのか?」

フリースタイルのラッパーはアルバムではなかなか売れない、というジンクスを、彼にも浴びせたのだ。そんな憶測が行き交うなか、さっそくアルバム製作に取り掛かるジン。Kanye West、Wyclef Jean、Just Blazeといった豪華プロデューサー陣らとスタジオワークをこなす。 配給元も大手Virgin Recordに決まり、お膳立ては全て整ったかに見えた。

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しかし所属のラフ・ライダースは、完全に全盛期の勢いを失っていた。 看板ラッパーEVEは離脱。稼ぎ頭のDMXは俳優業に専念するため引退宣言。 更にはVirgin Recordが度重なるアルバムの発売延期を発表。アルバムは既に完成されたのもかかわらず、なかなか世に出てこない状態が続いた。

不運は続く。
2003年11月。 NYチャイナタウンにあるバー「Yellow」にて、地元ギャング団の構成員と思われる男と口論になり、発砲事件へと発展した。 ジンに怪我はなかったが、ジンの取り巻きでラッパーのLSが、ジンをかばおうとして前に出た際に被弾。 病院送りになったものの、一命は取り留めた。

その翌月の2003年12月に、アルバムの前哨戦として1stシングル「Learn Chinese」を発売。

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それから待つ事1年、2004年10月に待望のデビューアルバム「The Rest Of History」が発売された。

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しかしジンのBET時代から既に2年半の月日が経ち、番組では新らたなチャンピオンが数多く生まれ、完全に彼は過去の人となっていた。
また、実際の録音時期と発売時期に間隔があるため、トラックに若干の古臭さがあることも否めない。

全ての面でそれはあまりにも遅すぎたデビューだった。



5. 引退宣言

1stアルバム「The Rest Of History」は、ビルボード最高位54位と、期待されたほどの売上を上げることはなかった。

それでもジンは積極的なプロモーションを続けた。日本を含めたアジアツアーを消化。 2004年末にはプエルトリコで行われたMCバトル大会「Fight Klub」で、強敵 Shells を打ち負かして見事優勝するなど、決して休むことなく動き続けた。

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2005年2月には彼のドキュメンタリーDVD「Making Of Rap Star」を発売。 しかしこのDVDも、当初の発売予定日から1年以上の延期を経てのお目見えだった。

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2005年5月、自らのHPで引退を発表。
アルバムの売上不振や、ラフ・ライダースから契約が切られたことがその理由として憶測されるが、はっきりとした理由は言明しなかった。 今後は俳優活動や、自身が立ち上げた非営利団体YOFAMを通して、アジア系アメリカ人の地位向上ためボランティア活動を続けていくそうだ。

以前彼はこう語っている。

「俺は自分がアジア系アメリカ人最初のラッパーだとは思わない。アンダーグラウンドには才能あるアジア系ラッパーが沢山いるよ。 彼等にドアを開く事が俺の役目だと思うんだ。」

彼が残した功績は大きい。
しかし、彼の早すぎる引退を嘆く声が多いのも事実だ。
JayZやMaster P、DMXのように引退宣言を撤回してカムバックする前例もある。 
いつになるかわからないが、彼のカムバックを皆で祈ろう。




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オフィシャルサイト
http://www.myspace.com/jinthamc
引退宣言に伴い、以前のサイトは閉鎖されてしまいました。
現在のサイトは内容的にかなり貧弱です。




=4 =2

Category: バニラ・アイス

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バニラ・アイス

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バニラアイス(Vanilla Ice)って覚えていますか~??

MCハマーが人気全盛期の頃に出てきた白人ラッパーで、当時は「白いMCハマー」なんて言われてました。 彼あれからどうしたんでしょう? 今どうしてるんですかね? とういこうとで今日はバニラアイスについて焦点を当ててみました。



1. ある日突然スーパースターに

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バニラアイスこと本名ロブ・バン・ウィンクル君は1968年フロリダ州マイアミ生まれ。 高校中退後、大好きだったラップで生計を立てることを決意。 地元マイアミのナイトクラブでラップを披露している時に、クラブオーナーからスカウトされる。 クラブオーナーが所有する小さなレコードレーベルSBKより、1989年にアルバム 「Hooked 」を リリース。 1stシングルとなった「Play That Funky Music」のセールスは芳しくなかった。

しかしある晩マジックが起こる。 
ローカルラジオのDJが、シングルのB面である「Ice Ice Baby」をA面と間違えてかけたことにより、「今かけた曲は何?」とリスナーから問い合わせが殺到。 地元レコード屋では瞬く間にソールドアウト。 白人がラップしている、という物珍しさも大きく作用し、噂は全国区へと広がっていく。 遂には大手レコード会社と契約を交わし、デビューアルバムに新曲を加えて1990年に「To The Extream」でメジャーデビュー。 そのアルバムはビルボード史上初めて1位を獲得したラップアルバムとなった。 その人気はとどまるところを知らず全世界で1500万枚の売上を達成。 つづいて主演映画の発表、自伝本の出版、アメリカン・ミュージック・アワード受賞、マドンナとの恋愛、と瞬く間にスターダムを上り詰めた。



2. 人気急降下

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一部の間でバニラアイスバッシングが始まった。

「あいつは黒人の真似をしているだけ」
「ティーンネイジャー向けのアイドルラッパー」
「お粗末なラップスキル。白人だから売れてる。」

そんな中、マイアミの新聞記者が特大スクープを入手。 バニラアイスが発表した自伝 「 Ice By Ice 」の中でバニラアイスが語っている自らの生い立ちは偽証だらけで、全て事実無根であると紙面で発表されてしまう。

「 俺はゲットー育ち。周りは黒人ばかり。地元のギャング団の一員でもあった 」
「 高校のクラスメートは 2 Live Crewのルーク(=当時人気のあったラップグループ) 」
「 元モトクロスバイクの全米チャンピオン 」

これら発言の実際は全て逆。 彼は白人ばかりが住む中産階級育ちで、ギャング経験など皆無。 2 Live Crewのルークはバニラアイスより10歳以上年上な為、同級生であるはずが無い。 さらにはモトクロス協会の過去の優勝者リストに彼の名前などひとつも無いことが暴露され、瞬く間に「嘘つき野郎」扱いされる羽目に。 

一方のバニラアイスは「あの本は俺が書いたんじゃない。勝手にほかの誰かが書いて知らない間に発表されたんだ」と反論するも、彼の言葉を信じる者はもはや誰もいなかった。それを機にバニラアイスは一気に下降線を辿ることに。

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災難はそれだけに留まらなかった。
「Ice Ice Baby」の中でサンプリングしたデビット・ボウイの曲「Under Pressure」の一部を許可を取らずに無断で使用していたことにより訴えられ敗訴。 さらにはアルバム製作時のプロデューサーとギャラの支払いに渡り揉め、元プロデューサが雇ったシュグ・ナイト(=のちのデスロウ社長)率いるギャングに奇襲され、ホテルのバルコニーから吊るされ「Ice Ice Baby」の権利書を恐喝されるという事件が勃発。 

1994年に発表したセカンドアルバム「Mind Blowin」は記録的な失敗作となり、発表後まもなくしてレコード会社との契約を切られる。 そんなトラブル続きの生活の中で、バニラアイスは現実逃避の為ドラックに身を投じていく。 ある晩彼はオーバードープで意識不明になり、自宅のバスルームで倒れているところを友人に発見される。 一命を取り留めたものの、バイラアイスの心にもう希望は無かった。



3. 救いの手

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そんなある日、一本の電話がかかる。
「ロス・ロビンソンが一緒に仕事したいって言ってるんだけど・・・」

ロス・ロビンソンは、当時全盛のミクスチャー(ヒップホップとハードロックを融合させた音楽)界で知らないものはいない超一流プロデューサー。 Kornやリンプビズケットの作品を多く手がけ、ヒット曲を量産していた。 失うものは何もないバニラアイスは、ロス・ロビンソンのガイドの下、新しいジャンルでのアルバム製作に取り掛かる。 1998年には「Hard to Sawallow」を発表。 往来の重いヒップホップビートではなく、ギターやドラム音が鳴り響くハードなトラックに乗せて、バニラアイスのシャウトするようなラップが繰り出される。 

「音楽は今の俺にとってセラピーだよ。 過去に経験してきた怒りや失望を、曲に載せてシャウトしているんだ。」 

アルバムの売上、評判ともに上出来で、プロモーションツアーはソールドアウトが相次いだ。 

「昔はコンサートに来る観客はティンネイジャーの女の子ばかりが来てたけど、今は違う。タトゥーやピアスだらけの連中ばかりだよ。 いつもハードコアな奴等で溢れかえってる。」



4. 再起への道

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少しずつ何かが変わり始めた。
1999年には、VH1のドキュメンタリー番組「Behind The Music」において、バニラアイスが取り上げられた。 これまで彼が歩んできた苦悩に満ちた波乱万丈の人生を、彼自身の言葉を交えて、包み隠さず打明けたこの番組は、放送終了後に大きな反響を呼んだ。 今まで非難やジョークの対象とされてきた彼に対して、世間の評価が少しずつ変わり始めたのだ。

2001年には二枚組の意欲作「Bipolar」を発表。
このアルバムにはチャックD(Public Enemy)、ラ・ザ・ダークマン(Wu Tang Clan)、ジョシュ・ブレインナード(Slipnot)、 インセイン・クラウン・ポッセ、といった超豪華客演人が軒並み参加している。 彼等は皆「Behind The Music」を見て、是非彼の作品に参加したいと申し出てきたという。

「再出発にあたって、Vanilla Iceって名前を変えたほうがいいって周りに言われたんだ。 昔のイメージが付きまとうから、マイナスだって。 でも絶対変えないよ。 過ちばかりを犯してきた過去は大嫌いだけど、当時の俺を知っている奴等に、今の俺を見て欲しいんだ。 本当の自分をね。 だからこそ、この名前でもう一度成り上がってやるよ。」 

人生の浮き沈みを経験し、生まれ変わったバニラアイスの発言はとても力強い。 そんなバニラアイスのニューアルバムが今年の8月にリリースされるとの最新情報を入手。 

嫌いじゃないです、こういう人。 

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バニラアイスのオフィシャルサイト
http://www.vanillaice.com/



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◎ 今日の独り言 ◎
当時はアイスやクールという名前を持つラッパーが多かったですよね
あと名前の前にMC~と付けるのもお約束でした
嗚呼懐かしい・・・(*´∇`*)

=2 =0

Category: ヒップホップ全般

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目を離すな! この男、大旋風を巻き起こす予感あり!

Nump_Trump1.jpg


サンフランシスコのベイエリア。

この地域のヒップホップ事情といえば、やはりまず思い浮かぶのが巨漢ラッパーE-40だ。
彼が率いるレーベル Sick Wid It Records は、これまで数々のラップアーティストを輩出してきた。その中に「NUMP(ナンプと読む)」というフィリピン系ラッパーがいたのをご存知だろうか?

日本ではあまり知られていないナンプ君だが、彼はこれまでに2枚のアルバムをリリースしており、特に2007年にリリースされたシングル「I Gott Grapes」は空前のローカルヒットとなり、「ハイフィ・ムーブメント」と呼ばれる新しい音楽ジャンルの火付け役ともなったのだ。

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もともと彼はサウンドエンジニアとして働き始め、グリーン・デイやイギー・ポップなどのレコーディングに参加していた。そんな中、同郷のE-40と仕事をした際に、ラッパーとしてのスキルを認められ、見事デビューを果たしたという変り種だ。

そんな彼が下積み時代から暖めていた野望が、ついにこのたび現実になったのだ。
それは「アジア系アメリカ人ラッパー達のレコードレーベル設立」という前代未聞の野望だ。全米各地から才能あふれるアジア系ラッパー達がナンプの元に集結し、アメリカの音楽史上初となるアジア系ギャングスタラッパー達のレーベル「454 Life Entertainment」が発足したのだ。

まずはこのビデオを見て欲しい。
レーベル所属のアーティストが、自己紹介を兼ねて順番に自慢のラップフロウをアカペラで披露している貴重な映像だ。

Thai, IZ, Drew Deezy, and Nump


このレーベルの四天王となるのが、ナンプ(フィリピン系)、タイ(ベトナム系)、イージー(韓国系)、ドリュー・ディージー(サモア系)。

ナンプ以外の3人は、自らのギャング経験や、刑務所での服役経験などについてラップするハードコアでサグな猛者どもばかり。 特にタイに関しては、2003年ごろからアンダーグラウンドで活動しており、その名前をご存知の方も多いのではないだろうか。「アジア系ギャングスタラッパー」という肩書きが異色すぎたため、これまでくすぶっていた感のあった彼だが、ナンプという力強い後ろ盾を手にし、今後どのような飛躍を遂げるのかがとても楽しみだ。

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彼らは、全盛期の No Limit Records を彷彿させるようなスピーディーなリリース間隔で、次々とYouTube上でPVを発表している。また、それらが決して低予算のものではなく、かなり良質なものばかりなのが驚きだ。さらに、ボビー・バレンティーノやフリーウェイなど、外部からの客演アーティストたちも多々招き入れ、作品に華を添えている。 彼らの豊富な資金力とそのハードワークさにはただただ脱帽するばかりだ。

彼らの作品の中で、個人的にひときわ好きなのが「We International」(PV下記参照)だ。 外部からのゲストとして、現在Gユニット所属のフリーウェイをフューチャーしたこの曲は、躍動感あふれるトラックに、刻みのいいマイクリレーが展開されているヒップホップファンにはたまらない出来栄えだ。

We International - Drew Deezy, Thai, IZ & Freeway


その反面、R&Bシンガーのボビー・バレンティーノが滑らかにフックを歌い上げる「I Don't See Nothing Wrong」(PV下記参照)は、メローな雰囲気漂うパーティーチューンで、決してハードコア一辺倒には偏らない彼らの器用さが垣間見れる良作に仕上がっている。

I Don't See Nothing Wrong - Drew Deezy, Thai & Bobby Valentino


レーベル発足後初となる待望の1stアルバム「As Real As It Gets」も遂にリリースされた。 所属アーティスト達の曲を収録したレーベルのコンピレーションアルバムになっている。 前述の2曲をはじめ、今話題のエレクトロ系ラップ的な楽曲も収録されていたりして、幅広い作品に仕上がっている。 このアルバムは、ここ日本でもAmazonやItuneなどでデジタルダウンロードでの入手が可能だ。 

454 Life Entertainment - As Real As It Gets
454_Life_Entertainment_As_Real_As_It_Gets.jpg

次なるアジア系アーティストの発掘に余念がない彼らは、続々とニューカマー達がレーベル入りを果たしている。 また、他のアジア系ラッパー達との交流も盛んで、以前このブログでご紹介したことのある Far East Movment や Jimmi Boi が454製作のPVにカメオ出演していたりする。さらには、アジア系R&Bシンガーの発掘にも触手を伸ばし始め、レーベルとして更なるステップアップを目論んでいるようだ。

なにぶん過去に例のない「アジア系のギャングスタラップ」という未知の境界に踏み込んだ彼ら。無論その道のりは険しいが、彼らの挑戦はまだ始まったばかりだ!




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◎今日のひとこと◎
私の大好きな音楽ライター、丸屋九兵衛氏もナンプの大ファンだとか♪ o( ̄ー ̄o )



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Category: Far East Movement

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Far East Movementが歴史的快挙!

FarEastMovement-201010_02.jpg


あの Far East Movementが ビルボードチャートで全米第1位を獲得しました!

Yahoo News - Far East Movement Takes #1 Spot on Billboard

以前からこのブログではアジア系アメリカ人のアーティスト達にフォーカスを当ててきましたが、こんな大記録が実現できたことに興奮と感動を隠せません! 本当にものすごい快挙です!

Far East Movementは、3人のラッパーに1人のDJを加えた4人組。 メンバーは、日系アメリカ人1人、韓国系アメリカ人2人、フィリピン系アメリカ人1人という構成です。 ヒップホップというフィールドで、アジア系アメリカ人という存在は完全なマイノリティであり、その風当たりは大きく、結成当初から彼らは苦難の日々を過ごしていました。

今日はブレイク前の彼らが出演した短編ドキュメンタリーをご紹介したいと思います。

Far East Movement - Future Rock Stars Of America


2004年に撮影されたこのドキュメンタリーは、Far East MovementとNEMOという2つのアジア系アメリカ人音楽グループに焦点をあて、アジア系ミュージシャンとして活動する彼らが抱える悩みや、それぞれの夢や目標について語っています。 五分間という短い時間ながら、とても興味深い内容になっています。

ドキュメンタリー内で語られている彼らの発言の抜粋します。

「最近こんなことがよくあるんだ。 普通の会話の中で『仕事は何してるの?』ってよく聞かれるだろ。 そこで俺は『ラッパーだよ』と答える。 すると相手は『マジで? 韓国語でラップしてるの?』って驚かれるわけ。 『いや、英語でラップしているよ』と答えると、『えっー?!それって本気でやってるの?』って変な目で見られるわけ。」

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「アジア系ラッパーと言っただけで笑われることがよくある。 彼らは音楽で判断せずに、外見だけで判断しているんだ。 人種差別が存在することは分かっている。 でも同じアジア系からも笑われることだってあるんだ。 それっておかしいだろ。」

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「アジア系コミュニティには、自分達の代弁者になれるようなリーダーが必要だと思う。音楽を通してそれらを伝えて行きたいんだ。」

Far_East_Movement_201010_11.jpg

アジア系というステレオタイプに縛られ、ラップをしているということだけで偏見の目で見られるという彼らの悩み。 そしてそれらを跳ね返してやろうという彼らの意気込みがとても印象的です。

インタビューの中で Progress が「人種の壁をぶち壊せるような きっかけが何か1つあればいいんだけど・・・」と語っているところがあります。 それから6年後、彼らはエレクトロ・ヒップホップという新しいジャンルを追求し、その結果、全米第1位というアジア系ラッパーとして前人未到の快挙を成し遂げるのです。

Far East Movement、おめでとう! そしてありがとう!

Far East Movement - Free Wired
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最後にメンバーのケビン西村の力強いお言葉で締めたいと思います。

「アジア系アメリカ人の音楽シーンはものすごい盛り上がってきている。 でも僕たちはまだまだこんなもんじゃない。 もっともっと上を見ているよ。 まだまだ始まったばかりだ。」





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◎今日のひとこと◎
この映画を撮影・編集したのは グレース・スー(Grace Su)さんは、台湾系アメリカ人。
現在はアメリカのテレビドラマや短編映画などで活躍しているハリウッド女優です。
監督業にもとても意欲的で、素晴らしい才能を持っている彼女にも今後注目していきたいです。



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プロフィール

管理人ケリー

  • Author:管理人ケリー
  • Authorのプロフィール:
    【好きな音楽】 NewJackSwing
    【好きなSinger】 Jodeci
    【好きなRapper】 Father MC
    【好きな映画】 Heat
    【好きな俳優】 Edward Norton
    【好きなType】 Mayte Gracia
    【趣味】 Chill out at cafe
    【特技】 Hip Hop Dance
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